改訂新版 世界大百科事典 「マレー文学」の意味・わかりやすい解説
マレー文学 (マレーぶんがく)
マレー文学はヨーロッパ文明がマレー社会に衝撃を与えた19世紀を境に,古典文学と近代文学に分けることができる。古典文学はインド,ジャワ,そしてペルシア・インド的要素をおびたイスラムなどの影響を受け,それら異質な文化を融合しながら固有の文学として発達した。イスラムのマレー文学への重要な貢献はジャウィと呼ばれるアラビア文字の導入で,19世紀以前のほとんどすべての文学はジャウィで書かれ伝えられた。古典文学はこのような書かれた文学と口承文学の二つのカテゴリーに分類することができる。前者は都市の宮廷を中心とした文学で,その分野は広く,歴史(《スジャラ・ムラユ》),宗教(《ハムザ・ファンスーリ》),法律(《マラッカ法典》),物語(《ヒカヤット・ハン・トゥアン》),詩などがある。口承文学はカンポン(村)に住む民衆の間で発達し,文字を媒介とせず,何代にもわたって語り継がれてきた。これらの中にはいたずら好きの小鹿の話(《サン・カンチル》)やユーモラスな道化の話(《パ・パンディル》《パ・ブララン》)など,多くの物語がある。これら口承文学は現在収集,出版の努力が続けられている。
古典文学をはぐくんだ環境は1786年から1823年にかけてのペナン,マラッカ,シンガポールにおけるイギリスの植民地支配の確立とともに変貌してゆく。49年出版の《アブドゥッラー物語》は,それが印刷,出版されたということが象徴するように,近代文学の開始を告げるものであった。印刷技術の導入は今までの手写本や口誦による文学の概念を変えた。20世紀前半はマレー文学が伝統的な文学から脱皮して新しい文学の基盤を形成した時代で,現実の社会生活の中で日常的に遭遇するさまざまな問題を主題として取り上げる作品が多くなった。太平洋戦争下の1942年から45年イギリス領マラヤは日本軍政下に置かれ,文学的には実り少ない時代であった。しかしこの時代にマレー社会は,やがて独立を目ざすナショナリズムの発展を経験し,政治的な意識が文学の分野でも自覚されるようになった。戦後多くの作品が出版されたが,質的に目覚ましい変化が起きたのは50年代に入ってからである。それにはいくつかの要因があるが,ナショナリズムの高揚とともに,マレーシア語を国語に選定したことはマレーシア語およびマレー文学に対する関心を深めさせた。また政府によって言語,文学の研究,創作,出版の中心マレーシア出版協会Diwan Bahasa dan Pustakaが設置され,小説,詩,劇などのコンペティションが始められたことも,創作活動に対する大きな刺激となった。50年以後のマレー文学は高い文学的水準を保ち,諸外国でも翻訳・出版され,国際的評価を得るにいたっている。今後のマレー文学は,どのようにマレー人,中国人,インド人などの人種の枠からみずからを解放し,マレーシア文学を創造するかが課題である。
執筆者:中原 道子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報