日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミルン」の意味・わかりやすい解説
ミルン(Alan Alexander Milne)
みるん
Alan Alexander Milne
(1882―1956)
イギリスの作家。1月18日ロンドンに生まれ、同地およびケンブリッジで教育を受けた。1903年、数学で学士。大学卒業後フリーのジャーナリストとなったが、06年に風刺雑誌『パンチ』の副編集長となり14年まで在職。同年から18年まで軍務についてのち文筆生活に入る。児童向け作品を書く前から、推理小説『赤い館(やかた)の秘密』(1922)など、随筆、小説、戯曲を多数発表して成功していたが、息子クリストファー・ロビン・ミルンが生まれてから、『パンチ』時代に身につけた作詩の技を駆使してつくった童謡集『クリストファー・ロビンのうた』(1924)を発表し大好評を博した。続いて、童話集『クマのプーさん』(1926)、童謡集『クマのプーさんとぼく』(1927)、童話集『プー横丁にたった家』(1928)を書き、子供にも大人にも愛される児童文学作家として、不朽の名声を得た。56年1月31日没。
[松野正子]
『原昌・梅沢時子訳『ぼくたちは幸福だった――ミルン自伝』(1975・研究社出版)』▽『小田島雄志・小田島若子訳『クリストファー・ロビンのうた』(1978・晶文社)』▽『小田島雄志・小田島若子訳『クマのプーさんとぼく』(1979・晶文社)』▽『クリストファー・ミルン著、石井桃子訳『クマのプーさんと魔法の森』(1977・岩波書店)』
ミルン(Edward Arthur Milne)
みるん
Edward Arthur Milne
(1896―1950)
イギリスの天文学者。理論天体物理学でエディントンと並ぶ。ハルに生まれ、1914年ケンブリッジ大学に入学。第一次世界大戦時には大気に関する軍事研究に携わり、1919年大学に戻って特別研究員に選ばれ、翌年太陽物理観測所の所長補佐に抜擢(ばってき)される。1924年マンチェスター大学応用数学教授となり、1929年オックスフォード大学教授に転じる。初期には恒星大気における電離理論を研究し、その後恒星内部構造論を手がけ、とくに白色矮星(わいせい)の解析に関してエディントンと論争を展開した。1932年以降宇宙論に取り組み、相対論に基づく宇宙空間に対してニュートン運動学に基づく独自の膨張宇宙の模型を構想した。超新星現象の起因が恒星崩壊にあることを指摘した。
[島村福太郎]
ミルン(John Milne)
みるん
John Milne
(1850―1913)
イギリスの地震学者。リバプールに生まれる。ロンドンのキングズ・カレッジの応用科学部に学ぶ。1871年アイスランドを旅行。ロンドンの王立鉱山学校(1872)およびドイツ国ザクセンのフライベルク鉱山学校(1872)に学ぶ。1873年春および1874年春ニューファンドランドを探検し、その間の1873年12月~1874年2月にはシナイ半島を一周旅行している。1876年(明治9)来日。工学寮で地質学・鉱山学を講じた。以後2~3年間に50以上の火山および北海道の鉱山の調査を行っている。とくに1880年2月22日の横浜の強震を機として地震研究に熱中し、日本地震学会を創立し、その主動者として地震学の発展に尽くした。研究は広範に及び、とくに地震計を考案し、日本および世界の地震カタログをつくった。1895年帰国後はワイト島のシャイドの自宅に観測所を設け研究を続けた。妻は、日本人の堀川利根(ほりかわとね)(1860―1925)。
[松澤武雄 2018年8月21日]