翻訳|Mary Stuart
スコットランド女王。在位1542-67年。イングランド女王エリザベス1世の生涯のライバルであった。父王ジェームズ5世が死去したため生後1週間で即位。1548年,6歳でフランス皇太子と婚約してフランスに渡り,以後その宮廷で教育をうけ,美貌で魅力に富む女性に成長した。58年皇太子と結婚。翌年夫はフランソア2世として即位したが,1年後に病没したため,61年帰国した。当時のスコットランドでは,貴族の派閥間抗争が新教徒と旧教徒,さらには親イングランド派と親フランス派の確執と結びついて激烈をきわめていた。またJ.ノックスを指導者とするカルバン派による宗教改革が成功した直後であっただけに,旧教徒たる女王の立場はきわめて微妙であった。しかるに65年,自分同様イングランド国王ヘンリー7世の血を引く従兄の旧教徒ダーンリー卿と結婚して新教徒貴族の反発を買い,寵臣D.リッツィオを殺害され,しかも性格不一致をうわさされた夫のダーンリー卿は67年なぞの爆死をとげた。その直後,女王はダーンリー卿殺害の主謀者と目されたボズウェル伯と結婚したため,貴族たちは反乱に立ち上がり,女王はロッホ・リーブン城に監禁され,屈服して息子のジェームズ6世(後のイングランド王ジェームズ1世)に譲位した。翌年脱出して再起をはかったが失敗し,イングランドに逃げこんだ。
エリザベス女王はメアリーを以後19年間幽閉しつづける。それはメアリーがイングランド王位継承権の要求をあきらめなかったため,スペインのフェリペ2世などの外国勢力ならびに国内の旧教徒勢力に彼女が利用されるのを恐れたためであった。エリザベス女王廃位の陰謀が起こるごとに,黒幕としてのメアリーの存在がとりざたされた。71年ノーフォーク公の陰謀が露見すると,メアリーの処刑を要求する声が高まったが,エリザベスはそれを拒んだ。しかし,86年旧教徒バビントンのエリザベス女王暗殺計画で通謀したとの嫌疑をうけ,幽閉先のフォザリンゲー城で翌年ついに処刑された。その数奇な生涯はJ.C.F.シラー,S.ツワイクなどの作品の素材となった。
執筆者:今井 宏
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スコットランドのスチュアート朝の女王(在位1542~67)。ジェームズ5世とフランスのギーズ家のメアリーとの娘。父王がイングランドとの戦いで死亡したため生後1週間で即位。当時スコットランドはフランスと提携していたので、1548年に渡仏、58年にフランス皇太子(後のフランソア2世)と結婚した。夫の死後、61年に帰国。改革派教会を樹立したジョン・ノックスと対立し、カトリック教徒としての立場を守った。65年、従弟(いとこ)のダーンリと再婚し、翌年王子(後のジェームズ6世)を生んだが、夫が暗殺されたのち、その下手人と目されたボスウェル伯と結婚したため、貴族と改革派教会の反抗を受け、敗れて67年に退位。ファイフのロッホリーブン城に投獄されていたが、ここを脱出してエリザベス1世に庇護(ひご)を求めた。20年近い幽閉ののち、スペイン側と共謀しエリザベス暗殺を企てたとして処刑された。
[飯島啓二]
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…また他国の新教徒を援助する一方,両カトリック大国フランスとスペインの対立を巧みに操った。当時最大の問題はスコットランド女王兼フランス王太子妃メアリー・スチュアートの執拗なイングランド王位の要求であったが,これを退けた。この間スコットランドでは宗教改革が進行し,60年夫に死別した女王メアリーが帰国したのを機に同国に内紛が起こり,メアリーはイングランドに逃亡,エリザベスはこれを幽閉した。…
…しかし,エリザベス1世が即位(1558)すると,やがてカリブ海域におけるそれまでのスペインの独占体制がイギリス船の進出によって破られ,加えてエリザベスはフランドルの反スペイン闘争を積極的に支援した。このために両国関係は一転して悪化の一途をたどり,その過程でエリザベスはフェリペ2世がスコットランドでのカトリック再興の希望を託していたメアリー・スチュアートを処刑した。ここに至ってフェリペはついに実力行使に踏み切った。…
※「メアリースチュアート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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