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メキシコ美術 メキシコびじゅつ Mexican art

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

メキシコ美術
メキシコびじゅつ
Mexican art

前 2000年頃から大地の豊穣や多産を象徴する土偶あるいは彩色土器が作られた。次第に文化的に高まり,前 500年頃にはオルメク文化が形成され,高地にピラミッド状の構築物が築かれ,また写実的な巨大な人頭や人像彫刻を残した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

メキシコ美術
めきしこびじゅつ

メキシコ美術は、その時代と内容から、古代美術、スペイン植民地時代の美術、独立以後の美術と三つに大別して考えることができる。[深作光貞]

古代美術

コロンブスがアメリカ大陸に至る(1492)以前の、先住民(インディオ)の美術である。紀元前1500年ごろからいち早くトウモロコシ栽培による定住農耕文化を開始した古代メキシコでは、狩猟と農耕の豊饒(ほうじょう)祈願呪術(じゅじゅつ)の女性土偶に、素朴ながらも奔放な表現主義的おもしろさを示した。前800年ごろラ・ベンタ地方を中心としてメキシコ湾一帯にメキシコ最初の高度な文化のオルメカ文化が生まれた。特徴は巨石人頭像で、なかには30トンを超す巨大なものがある。アメリカヒョウと男の顔とをダブらせた図案の斧(おの)形の石や玉の彫刻も異色である。このオルメカ文化を母体として、紀元後約1000年までに古典期とよばれる諸文化が輩出する。すなわち、メキシコ中部高原には三つのピラミッドをもつ宗教都市テオティワカン文化が、また南部オアハカ盆地には華麗な素焼彫刻の骨壺(こつつぼ)や丘上の宗教都市モンテ・アルバンに代表されるサポテカ文化が興った。それに続いて、メキシコ湾付近に「笑う顔」とよばれる素焼像や石彫の軛(くびき)、斧、パルミヤの彫刻、およびエル・タヒンの壮麗なピラミッドなどを特徴とするベラクルス文化が、またユカタン地方やグアテマラやホンジュラスを中心にして高度のマヤ古典文化がそれぞれ開花した。このマヤ古典文化では、パレンケ、ウシュマル、カバの建物とその華麗なファサード(建物前面)がみごとであり、彫刻にも優れたものが多く、絵画ではボナンパクの壁画が美術史上の傑作とされている。
 これらはいずれも農耕基盤の神権政治時代の文化であるが、9~10世紀になると、いくつかの北部遊牧狩猟民が武器をもって南下移動し、軍国時代の新しい文化を形成した。それらの民族集団の一つであるトルテカは、巨大な戦士像の立ち並ぶ石柱の群れが頭上で屋根を支えるトゥーラのピラミッドをつくった。このトルテカはマヤ旧帝国を揺さぶり崩し、文化的にはトルテカ文化をマヤ文化に合体させて、ユカタン半島にマヤ新帝国文化をつくった。チチェン・イツァーの大天文台、ピラミッド、戦士の神殿、コロセウムなどの壮大な遺跡群が、マヤ新帝国文化の輝かしさを物語っている。もう一つの南下移動民族ミステカは、芸術的感覚の優れたミトラの神殿やみごとな木鐸(ぼくたく)「テポナストリ」、そして冴(さ)えた金銀細工の工芸品を残した。しかし最終的にメキシコを支配したのは、やはり南下してきたアステカ人で、壮大な首都テノチティトランの造成、直径4メートルの巨大石彫刻の暦や怪奇幻想的な石の彫刻をつくったが、やがてスペイン人に征服され、先住民の国家であった古代メキシコは終わりを告げた。[深作光貞]

スペイン植民地時代の美術

1521年から1821年の300年にわたる、スペインのメキシコ植民地政策は、インディオのカトリック教化を基本としたので、宗教美術が支配的であった。インディオの神殿を破壊して各地に建てた寺院は、いずれもスペインかイタリア・ルネサンス様式であったが、しだいに内部や天井を金色で塗りつぶす傾向が強まった。16~17世紀にバロック様式が導入され、さらに17世紀後半になると、建築にわざわざスペイン人をよばなくても、インディオとの混血の職人でまにあうようになったこともあり、装飾にインディオ的要素が現れた。さらにアラブ系職人が流入してきたためか、飾りタイルなども出現した。教会の彫刻にはキリスト像、マリア像、受難像など木彫彩色のものが多く、スペインのそれらと同様、流血の傷口が生々しく誇張されたものである。[深作光貞]

独立以後の美術

メキシコ独立(1821)後の芸術は、社会革命の理想と国家主義的な意識に支えられていた。このメキシコ・ルネサンスとよばれる動向に顕著なのは、かつてこの地にあったプリミティブな表現の影響の強い具象性であり、それは結局1950年代まで主流を占めることになる。[保坂健二朗]
メキシコ独立から1940年代まで
1923年、ディエゴ・リベラ、ダウィド・アルファロ・シケイロス、ホセ・クレメンテ・オロスコらは、技術労働者、画家、彫刻家のための労働組合の結成宣言に署名、芸術の私的消費を否定し、芸術は公共的でなければならず、その典型は公共建築の壁を飾る壁画だとした。いわゆる壁画運動である。その公共建築は普遍性を企図する国際様式であったが、それがメキシコの神話、歴史、大衆の生活を描いた地域性の強い壁画によって装飾されていたのだから興味深い。こうした芸術の公共性、大衆性を唱える動きはグラフィックアートの分野にもあり、1937年には大衆グラフィックアート工房Taller de Grfica Popularが設立されることとなった。
 壁画に適した叙事詩的表現ではなく抒情(じょじょう)的表現を好み、また壁画運動のラディカルな政治思想を受け入れることのなかった画家たちが描いていたのがタブロー絵画であった。その代表にルフィーノ・タマヨやフリーダ・カーロらがいるが、当時の評価は当然低く、正当な評価は、実存主義的な芸術理念や、政府の近代化政策に沿って国際主義的主張が受け入れられる1950年代を待たなければならなかった。しかし、カーロのような内省的な作品こそが、メキシコ美術の特徴の一つであるシュルレアリスム的表現を導く役割を果たしていたのである。1940年前後には、レオノーラ・キャリントンLeonora Carrington(1917― )を含むシュルレアリストたちがメキシコを訪れ、その傾向は強化された。たとえば写真家マニュエル・アルバレス・ブラーボManuel Alvarez Bravo(1902―2002)や画家カルロス・メリダCarlos Mrida(1891―1984)などにその影響をみることができるであろう。[保坂健二朗]
1950年代以降
1950年代、マニュエル・フェルゲレスManuel Felgurez(1928― )やホセ・ルイス・クエバスJos Luis Cuevas(1934― )など、欧米で学んできた若手芸術家たちが、それまで支配的だった具象的で政治的な芸術を否定し同時代の美学的理念に共鳴して、ついにメキシコ美術に抽象的表現がもたらされた。その象徴ともいえるのが、ドイツ生まれの彫刻家マティアス・ゲーリッツMathas Goeritz(1915―90)のシャープで禁欲的なデザインによる短期間の実験的美術館「エル・エコーEl Eco」(反響)であった。
 1970、80年代、商業的環境への対応から伝統的な様式が復活していった。なかでも、地域の神話や動物相に根ざし偶像破壊的な絵画を描くフランシスコ・トレドFrancisco Toledo(1940― )が注目される。80年代なかばには世界的なポスト・モダニズムの隆盛に並行して、1920年代の国家主義的な図像を換骨奪胎し、より個人的な表現へと変容させたナフム・ゼニルNahum Zenil(1947― )に代表される「新メキシコ主義Neo-Mexicanism」が生まれた。[保坂健二朗]
建築
建築では、ラテンアメリカ文化圏では最初に採用された国際様式の建築群が知られるほか、シェル構造の研究でも名高いフェリックス・キャンデラFlix Candera(1910―97)や、シンプルな形体でありながらも水やスタッコなどの素材感、そして色彩に富む建築で評価の高いルイス・バラガンLuis Barragn(1902―88)がいる。[保坂健二朗]
『石田英一郎編『世界美術大系 別巻第2 メキシコ美術』(1964・講談社) ▽主婦の友社編・刊『エクラン世界の美術17 メキシコ・ペルー』(1982) ▽加藤薫著『メキシコ美術紀行』(1984・新潮社) ▽大井邦明著『ピラミッド神殿発掘記』(1985・朝日新聞社) ▽『原色世界の美術16 メキシコ・ペルー』(1987・小学館) ▽小野一郎写真・文『ウルトラバロック』(1995・新潮社) ▽北海道立旭川美術館他編『メキシコの美術:1920―1950展カタログ』(1998・メキシコの美術:1920―1950展カタログ委員会刊) ▽小野一郎著Mexico:baroque』(2000・アスペクト)』

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