精選版 日本国語大辞典 「メンデルスゾーン」の意味・読み・例文・類語
メンデルスゾーン
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1809~47
ドイツの作曲家。古典派とロマン派を調和させた様式美を持ち,洗練された感情が控え目に盛られている。17歳ですでに「真夏の夜の夢序曲」をつくり,交響曲5,協奏曲,ピアノ曲など多数作曲。
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…第7番(従来の番号付では第8番)《未完成》(1822)と第8番(同じく第7番ないし第9番)《ザ・グレート》(1828)では,トロンボーンが定着し,規模も拡大されて,後のブルックナーを思わせるような息の長い呼吸が認められる。 その他,初期ロマン派交響曲では,メンデルスゾーン(初期の弦合奏主体の13曲と,1824‐42の5曲)とシューマン(未完とスケッチのほか,1841‐51の4曲)が重要である。メンデルスゾーンは第3番《スコットランド》(1842),第4番《イタリア》(1833)をはじめ,標題音楽的な雰囲気と色彩豊かな管弦楽法を特徴とする。…
…幻想的でロマンティックな雰囲気によって古来最も愛されてきた喜劇であるが,最近は人物の動きに意識深層の欲望のうごめきを見たり,劇中劇的ドラマ構造の特性を強調したりする批評家,演出家もある。【笹山 隆】 なお,この戯曲の付随音楽として,多くの作曲家が作曲しているが,最も有名なのはメンデルスゾーンの《序曲》(作品21,1826)である。これは古典的ソナタ形式を自由に変化させたのびやかな様式からなり,幻想的で妖精たちの戯れをみごとに表現している。…
…他方19世紀には,作曲家と演奏家が協力し合い,高度な演奏効果と作曲家の個人様式の追求を調和させることに成功した例も少なくない。メンデルスゾーンの《バイオリン協奏曲》にはダーフィトFerdinand David(1810‐73)が協力し,J.ヨアヒムのためには,シューマン,ブルッフ,ブラームス,ドボルジャークなどが優れた協奏曲を書いている。高度の名人芸を優れた音楽性に結びつけようとした19世紀後半のバイオリン曲には,同時代の名演奏家P.deサラサーテにささげられたE.ラロの《スペイン協奏曲》(1873)やサン・サーンスの《バイオリン協奏曲第3番》(1880),またソナタとしては,ブラームスの3曲(1879,86,88),ベルギーの名手E.A.イザイエにささげられたC.フランクの傑作(1886),ノルウェーの抒情性に富んだE.グリーグの第3番(1887)などがあり,今日の演奏会の重要な曲目を形成している。…
…全体は2部68曲から成り,十字架の預言,最後の晩餐,ゲッセマネの祈り,捕われ,裁判,ゴルゴタの丘,死と埋葬などの場面が,福音朗読者(テノール)の朗唱を中心として,劇的な合唱や内省的なアリア,また味わい深いコラールによって感動的に描かれ,キリスト受難の意味を鋭く問いかける。1829年にメンデルスゾーンがJ.S.バッハの死後初めて演奏し,J.S.バッハ復活の端緒をつくったことも重要である。J.S.バッハ以外ではシュッツの曲(1666)が名高い。…
…世紀後半には他の諸国の貢献も強まる。おもな大作曲家を挙げれば,ベートーベンとシューベルトを視野におさめながら,C.M.vonウェーバー,メンデルスゾーン,シューマン,ショパン,ベルリオーズ,リスト,R.ワーグナーらが代表的存在である。ベートーベンとシューベルトはロマン的要素を有しながら,全体としては古典派に入れられる。…
…ゲーテ,シラー,カント,フィヒテらを攻撃したため,頑迷な啓蒙主義者と見られがちであるが,啓蒙主義の指導的な雑誌の刊行者,ベストセラー作家,批評家としてその多面的な活動は,ドイツ18世紀文化史に大きな足跡を残した。レッシングやM.メンデルスゾーンの助けをえて,ベルリンの啓蒙主義運動の組織者として活躍し,文化の媒介者の役割を果たした。【岩村 行雄】。…
…その影響下に,ユダヤ人世界においては,ハスカラーと呼ばれる啓蒙主義運動が起こった。カントと並ぶ当代最大の哲学者として尊敬されたM.メンデルスゾーンを精神的父と仰ぐユダヤ人啓蒙主義者は,ユダヤ人固有の文化を捨ててヨーロッパの世俗文化を学ぶことが,中世以来の社会的差別からユダヤ人を解放する前提であると考えた。19世紀に,民族主義に基づく近代国家が成立すると,彼らは,ユダヤ教の伝統的教義である民族と宗教の間の不可分な関係を否定する〈改革派ユダヤ教〉を創設した。…
… ヨーロッパのユダヤ教徒に呈示されたこの新たな道は,彼らに衝撃的な作用を及ぼした。M.メンデルスゾーンを先駆とし,ユダヤ教徒の側から積極的に近代ヨーロッパ文化を吸収しようとするユダヤ教徒啓蒙運動は,ここに一気にその花を開き,数世紀にわたり伝統的なラビの支配のもとにあったユダヤ教徒を,近代ヨーロッパの社会と文化のいぶきに触れさせ,彼らの貪欲なまでの知識欲を刺激した。ユダヤ教改革の運動が起こると同時に,それまでユダヤ教徒に対し,宗教,教育,裁判における独占権を確保してきたラビは,それだけいっそうかたくなに伝統的な教義に固執しようとした。…
…すなわち,近世のユダヤ哲学の特色は,中世のそれと異なり,ユダヤ教の特殊性を排除し,それを普遍的な理性原理の上に確立することにあった。その最初の代表的な哲学者がM.メンデルスゾーンである。彼の後継者はドイツ観念論の哲学のなかにユダヤ教との思想的一致を見いだしている。…
…前者に属するのは,ドイツの広範な読者層にウォルフ哲学を広げることに貢献したチューミヒLudwig Philipp Thümmig(1697‐1728),ビルフィンガーGeorg Bernhard Bilfinger(1693‐1750)やドイツ美学の創始者と目されるバウムガルテンおよびその弟子マイヤーGeorg Friedrich Meier(1718‐77)などであるが,とりわけバウムガルテンはウォルフによってほとんど扱われなかった美学の領域に関してウォルフの体系を補完した。後者に属する人々としてはライマールスHermann Samuel Reimarus(1694‐1768),M.メンデルスゾーン,J.H.ランバートなどが挙げられる。ランバートはウォルフ的合理論とロック的経験論の融和統一をはかった。…
※「メンデルスゾーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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