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東京都台東区西部にある都立公園。面積約53万m2。1873年(明治6)公園開設の太政官布告によって,芝,飛鳥山などとともに日本最初の公園となった。徳川家の廟所寛永寺のある忍ヶ岡一帯を占める。彰義隊の戦いで寛永寺の建物が焼失した跡地は,当初大学東校の用地になろうとしたが一転して公園となった。75年不忍池(しのばずのいけ)周辺も編入され76年博物館(東京国立博物館)所属の公園と決定された。77年以降,第3回までの内国勧業博覧会が博物館を中心に公園内で開催された。殖産興業のセンターの機能をもっていたが,その一翼をになっていた教育博物館の建物はそのまま東京美術学校となる。90年東京音楽学校(美術学校とともに,現,東京芸術大学),またその前年には日本美術協会が設立され展覧会を開いた。この頃を境に美術の森へと変わっていく。82年動物園が開園,85年には上野図書館が開館され,1924年公園と動物園が東京市に下賜された。公園に大建築が増え始めるのは58年の日本芸術会館からで,国立西洋美術館,東京文化会館,改築の東京都美術館と近代的建造物が並び建ち,竹之台の噴水とともに公園の姿を一変させた。かつて関東大震災で50万人を避難させた公園も,しだいにオープンスペースを減少させている。
執筆者:田中 正大
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東京都台東区(たいとうく)の西部、山手(やまのて)台地から突出した上野台地東端に位置する公園。上野の山と不忍池(しのばずのいけ)の低地にまたがり、上野の観光と文化施設のほとんどはこの公園内に集中している。面積53.2万平方メートル。江戸時代はすべて寛永寺(かんえいじ)の境内であった。1873年(明治6)宮内省管理の公園となり、さらに1924年(大正13)昭和天皇御成婚記念として不忍池とともに東京市に下賜され、一般に開放されて上野恩賜公園と命名された。ここが日本有数の芸術文化の中心となったのは、1882年(明治15)に上野動物園、寛永寺本堂跡に現在の東京国立博物館、1887年美術学校・音楽学校(現、東京芸術大学)などが開設、移築されてからである。さらに、東京市に下賜後、科学博物館、都美術館、国立西洋美術館、東京文化会館などが集中し、それらを囲むように日本学士院、日本芸術院、国立国会図書館支部上野図書館(現、国際子ども図書館)などができ、ますますその傾向が強くなった。この芸術、文化の諸施設に、東日本の玄関口と都北東部の交通拠点という地位をも加えて、広大な緑地は都内随一に数えられ、サクラの名所、弁天(べんてん)堂のある不忍池や水族館などが、四季を通じて多くの人を集めている。また、文化財としては寛永寺清水(きよみず)観音堂、旧寛永寺五重塔、旧本坊表門(黒門)、東照宮(とうしょうぐう)本殿などは国の重要文化財に指定され、高村光雲(こううん)制作の西郷隆盛銅像(さいごうたかもりどうぞう)は上野のシンボルとなっている。
[菊池万雄]
『豊島寛彰著『上野公園とその付近』上下(1963・芳洲書院)』
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