モンゴルと中国内モンゴル(蒙古)自治区にひろがり,北西と西部はアルタイ,北東はヤブロノイ,東は大興安嶺,南は陰山の諸山脈にかこまれた高原。北西部はモンゴルアルタイのハイルハン・ウラ(4362m)など4000m前後の山々があるが,中央から東~南東部は1000~2000mと低くなり,南は中国領につづく礫(れき)の多い〈ゴビ〉(砂礫の地の意)となる。中部から東部には牧畜の盛んな草原,北部山脈にはロシア連邦シベリア地方へつながる森林帯がみられる。北西のハンガイ山脈から北流する諸河川はセレンゲ川に合流して北流し,ロシアのバイカル湖へ入る。北東のオノン川,ヘルレン川はアムール水系の河川をなす。ハンガイ山脈から南流する河川の一部は,高原上の凹地に流入して湖を形成する。この地には北端にフブスグル(2620km2)などの淡水湖や北西端にウブス・ノール(3350km2)などの塩湖がある。
気候は大陸性で,1月平均気温は北西部-25~-30℃,南部-15℃前後,7月は北部や北西部15℃前後,南部約25℃であって,年較差は40℃以上にもなり,また,昼夜の気温差もしばしば20~25℃になる。年降水量は少なく,夏に集中するが,北部250~350mm,南部100~150mmで,南西部は100mm以下,1年間降水のない年もたびたびあり,一方,北端部は500mm近い。古くから北部のオルホン川上流域には,匈奴,突厥(とつくつ),ウイグル,それにモンゴル族のカラコルムなど遊牧民族国家の都がおかれ,また,南東部の漢族との境界地帯にはその前進拠点が設けられたが,この拠点では両者の軍事衝突や遊牧・農耕文化の交流がおこなわれた。9世紀にウイグル族が西へ移動したあと,トルコ系民族に代わってモンゴル族がこの地の支配権を握り,13世紀の彼らの大帝国建設はそれをより確固たるものとしたのであって,それは清代のハルハ部を経て,今日のモンゴルと中国内モンゴル自治区の領域として続いているのである。
→モンゴリア
執筆者:小野 菊雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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