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モンタージュ montage

翻訳|montage

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モンタージュ
montage

映画の「フィルム編集」のこと。特に無声映画時代に起こった,フィルム結合の際の美学的思想的問題に関する映画理論をさす。元来はフランス語で「組み立て」の意味。最初にこの語を使ったフランスの映画批評家レオン・ムシナックは,モンタージュとは映画にリズムを与えることである,と主張した。このようにモンタージュを映画の本質論としてとらえる考え方は,同時期にソビエト連邦でも論じられた。フセボロド・イラリオノビッチ・プドフキンは各ショットを結合させて「映画的現実」をつくりだすことがモンタージュであると考え,技術論の延長線上でとらえたが,セルゲイ・ミハイロビッチ・エイゼンシュテインは二つのショットの衝突,葛藤により観念が生じることを期待するモンタージュ理論を展開。唯物弁証法(→弁証法)の原理に対応させてとらえたエイゼンシュテインのこの概念はのちの映画理論に大きな影響を及ぼした。

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デジタル大辞泉の解説

モンタージュ(〈フランス〉montage)

[名](スル)《構成、組み立ての意》
映画で、多数のカットを組み合わせてつなぎ、一つの作品にまとめる手法。映画フィルムの編集。
モンタージュ写真」の略。

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百科事典マイペディアの解説

モンタージュ

映画の編集作業全般を指す用語であるが,映像に意味や観念をもたせるための構成方法として語られることが多い。1910年代米国のD.W.グリフィスの試みを先駆に,1920年代にはフランスのA.ガンス,ソ連のエイゼンシテインプドフキンらが理論化をおこなった。
→関連項目イントレランス鉄路の白薔薇バラージュ

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世界大百科事典 第2版の解説

モンタージュ【montage[フランス]】

モンタージュということばは,元来,〈(部品や断片などの)組立て〉という意味のフランス語であるが,映画や写真などの世界では,以下に見るように特有の意味をもった用語として用いられている。
[映画]
 映画用語としてのモンタージュは,単に映画の編集作業の全般を指すことばとしても用いられるが,〈モンタージュ理論〉という言い方で知られるように,どのように映像を構成してそれに意味をもたせ,また語らせるかという,広い意味での〈思想〉の映像化のための映像構成法を指していう場合が多い。

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大辞林 第三版の解説

モンタージュ【montage】

( 名 ) スル
映像の組み合わせによって意味を表現すること。また、その技法。
写真を合成すること。また、合成された写真。合成写真。

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世界大百科事典内のモンタージュの言及

【アメリカ映画】より

…ジャン・リュック・ゴダールは〈すべての映画はアメリカ映画である〉といっている。クローズアップモンタージュなどさまざまな映画的手法を開発し,それらを駆使して巧みに長編の物語を語ることをはじめ,それ以後のすべての映画の基礎を築いたのは,〈アメリカ映画の父〉D.W.グリフィスであった。また,スターシステムや撮影所のシステムをはじめ,映画の製作,配給,興行のしくみなど,映画のあらゆる側面を通じて,〈アメリカ映画〉から生まれ発展し,各国の映画にもたらされたものは数多い。…

【イントレランス】より

…フィルムの長さにして5200m,サイレントスピードによる上映で4時間半以上)。〈アメリカ映画の父〉D.W.グリフィスがここで用いた数多くの〈映画的〉技法は各国の映画に影響を与え,とくに革命後のソ連の若い映画作家たち(エイゼンシテイン,プドフキン,クレショフ)にとっては〈モンタージュ理論〉の形成を促すきっかけとなった。夫を無実の罪で捕らえられ,生まれたばかりの子どもも奪われて〈施設〉に預けられてしまう女性(メー・マーシュ)を描く現代アメリカ編〈母と法律〉に,古代バビロニア編〈バビロンの崩壊〉,古代エルサレム編〈キリストの受難〉,中世フランス編〈聖バルテルミーの大虐殺〉という三つの異なる時代の歴史的事件のエピソードをつけ加えて,人間の不寛容の事実を描く。…

【ガンス】より

…〈映画は光の詩だ〉と主張したガンスは,《鉄路の白薔薇》のシナリオをラテン語詩のリズムによってコマ単位で書いたともいわれる。このサイレント映画ならではの手法はエイゼンシテインらソ連の〈モンタージュ理論〉派の映画作家に影響を与えた。さらに《ナポレオン》では,3台の映写機を使って3面のスクリーンに映写する〈ポリビジョン〉方式(シネラマの前身といわれる)を考案するとともに,ポータブルカメラを駆使して走る馬のくらにカメラをくくりつけるなど,ありとあらゆる撮影方法を試みた。…

【戦艦ポチョムキン】より

…はじめにエイゼンシテインとニーナ・アガジャーノワ・シュトコが準備した脚本《1905年》は,革命の全般を描こうとする数百ページに及ぶものであったが,その内のわずか半ページにあたる黒海艦隊の反乱をテーマにした部分を〈五幕の悲劇〉,すなわち〈人間と蛆〉〈後部甲板上のドラマ〉〈死者からの訴え〉〈オデッサ階段〉〈艦隊との遭遇〉という構成で完成した。実際にあった歴史的事件を題材に個人ではなく集団を主人公として,中心的な役のほかは〈ティパージュtypage〉(タイプを中心とした配役)によって素人をつかい,俳優の演技よりも〈モンタージュ〉のほうが雄弁であること,〈モンタージュ〉が映像による思想の伝達手段であることを立証した。とくに,エイゼンシテインが23年に発表した〈アトラクション(吸引)のモンタージュ〉理論を具象化し,カットの組合せから生まれる〈衝突〉のイメージによって激しい動的なリズムと緊迫感を盛り上げた有名なオデッサ階段の虐殺シーンは,モンタージュの手本とされている。…

【トーキー映画】より

… トーキーの理論的基礎は,まだトーキーを製作してもいなかったソビエトで築かれた。28年,エイゼンシテイン,プドフキン,グリゴリー・アレクサンドロフ(1903‐83)の3人の連名で,〈トーキーのモンタージュ論〉ともいうべき〈トーキーに関する宣言〉が発表された。そして,それを具体化したソビエト最初の長編トーキーであるニコライ・エック(1902‐59)監督の《人生案内》(1931)がつくられ,フランスではルネ・クレールが《巴里の屋根の下》(1931)で新しいトーキー表現を開拓し,アメリカではルーベン・マムーリアンが《市街》(1931)で音を映画的に処理し,ドイツではG.W.パプストが《三文オペラ》(1931)で新しい音楽映画の道を開いた。…

※「モンタージュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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