モントゥー

百科事典マイペディア 「モントゥー」の意味・わかりやすい解説

モントゥー

フランス出身の米国の指揮者。生地のパリ音楽院バイオリン科に学び,在学中からオペラ・コミック座とコロンヌ管弦楽団のバイオリン奏者として活動。指揮者としてもデビューし,1911年−1914年バレエ・リュッスの指揮者としてストラビンスキーの《ペトルーシカ》や《春の祭典》,M.ラベルの《ダフニスクロエ》,ドビュッシーの《遊戯》など,20世紀バレエの記念碑的作品の初演を手がける。以後,1919年−1924年ボストン交響楽団の常任指揮者,1936年−1952年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督,1961年−1964年ロンドン交響楽団首席指揮者などを歴任。1929年−1935年にはパリ交響楽団(1938年解散)の育成に力を尽くした。1942年米国籍を取得。色彩的な感覚美と堅固な造形力をあわせもち,フランスの近現代作品のほかドイツ音楽にも名演を残した。1963年にロンドン交響楽団と来日。→NBC交響楽団ベイヌム
→関連項目レイボビッツ

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改訂新版 世界大百科事典 「モントゥー」の意味・わかりやすい解説

モントゥー
Pierre Monteux
生没年:1875-1964

フランス出身のアメリカの指揮者。パリ音楽院で学び,卒業以前からオペラ・コミック劇場やコロンヌ管弦楽団のバイオリン奏者として活躍,1894年には後者の指揮助手兼合唱指揮者となった。1911-14年バレエ・リュッスの指揮者として,ストラビンスキーの《ペトルーシュカ》《春の祭典》,ラベルの《ダフニスとクロエ》,ドビュッシーの《遊戯》などの初演を指揮した。16年アメリカにデビュー。17-19年メトロポリタン歌劇場,20-24年ボストン交響楽団の指揮者。24年ヨーロッパに戻り,34年までアムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団の第2指揮者(首席はメンゲルベルク)を務めるかたわら,29年パリ交響楽団を組織。36年再度渡米,52年までサンフランシスコ交響楽団の音楽監督。42年アメリカ国籍取得。61年ロンドン交響楽団首席指揮者,63年同楽団とともに来日した。豊かな感覚と同時に,確固とした技術と深い作品の理解に基づいた指揮をもって知られ,同時代の作品を進んで取り上げた。後進の育成にも努め,N.マリナー,A.プレビンらを世に出した。
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世界大百科事典(旧版)内のモントゥーの言及

【春の祭典】より

…ストラビンスキーとN.レーリヒによるバレエの筋書は,ロシアの異教徒が,春の神の心を静めるために一人の処女を犠牲者にするというもの。1911年から13年にかけておもにスイスのクラランで作曲され,13年5月29日パリのシャンゼリゼ劇場のバレエ・リュッスの公演で,ニジンスキーの振付,P.モントゥーの指揮によって初演され,20世紀音楽史上最も有名なセンセーションを巻き起こした。膨大な編成のオーケストラが,複調や無調による激しい音響をつくり出し,拍子が,3/16,5/16,4/16と小節ごとに変化して複雑なリズム構造を生み出す。…

※「モントゥー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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