百科事典マイペディア 「モントゥー」の意味・わかりやすい解説
モントゥー
→関連項目レイボビッツ
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フランス出身のアメリカの指揮者。パリ音楽院で学び,卒業以前からオペラ・コミック劇場やコロンヌ管弦楽団のバイオリン奏者として活躍,1894年には後者の指揮助手兼合唱指揮者となった。1911-14年バレエ・リュッスの指揮者として,ストラビンスキーの《ペトルーシュカ》《春の祭典》,ラベルの《ダフニスとクロエ》,ドビュッシーの《遊戯》などの初演を指揮した。16年アメリカにデビュー。17-19年メトロポリタン歌劇場,20-24年ボストン交響楽団の指揮者。24年ヨーロッパに戻り,34年までアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の第2指揮者(首席はメンゲルベルク)を務めるかたわら,29年パリ交響楽団を組織。36年再度渡米,52年までサンフランシスコ交響楽団の音楽監督。42年アメリカ国籍取得。61年ロンドン交響楽団首席指揮者,63年同楽団とともに来日した。豊かな感覚と同時に,確固とした技術と深い作品の理解に基づいた指揮をもって知られ,同時代の作品を進んで取り上げた。後進の育成にも努め,N.マリナー,A.プレビンらを世に出した。
執筆者:笠羽 映子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランス出身のアメリカの指揮者。パリ生まれ。パリ音楽院でバイオリンを学び、オーケストラに入団。1907年指揮者としてデビュー、11~14年ディアギレフ・バレエ団のオーケストラを指揮、ラベル『ダフニスとクロエ』やストラビンスキー『ペトルーシュカ』『春の祭典』などを初演した。17年渡米、メトロポリタン歌劇場、ボストン交響楽団の指揮者のあと、24~34年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団第二指揮者、36~52年サンフランシスコ交響楽団常任指揮者を務め、42年アメリカ市民権を獲得した。その後客演活動を行っていたが、61年から亡くなるまでロンドン交響楽団首席指揮者。このオーケストラを率いて63年(昭和38)初来日した。まろやかで気品のある芸風は、フランス音楽でとくに効果を発揮した。
[岩井宏之]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ストラビンスキーとN.レーリヒによるバレエの筋書は,ロシアの異教徒が,春の神の心を静めるために一人の処女を犠牲者にするというもの。1911年から13年にかけておもにスイスのクラランで作曲され,13年5月29日パリのシャンゼリゼ劇場のバレエ・リュッスの公演で,ニジンスキーの振付,P.モントゥーの指揮によって初演され,20世紀音楽史上最も有名なセンセーションを巻き起こした。膨大な編成のオーケストラが,複調や無調による激しい音響をつくり出し,拍子が,3/16,5/16,4/16と小節ごとに変化して複雑なリズム構造を生み出す。…
※「モントゥー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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