フランスの軍人,小説家。北フランスのアミアンに生まれ,職業軍人としての道を歩んだが,軍人としてよりも小説家として名を成した。21歳で砲兵少尉に任官,各地に駐屯し,1769年から75年までグルノーブルに勤務。79年西フランスの孤島エックス島で要塞構築に従事し,その余暇にグルノーブル社交界での見聞をもとに,書簡体小説《危険な関係》を執筆,82年に出版した。88年軍職を退き,ルイ16世の従弟オルレアン公の側近として政治に関与する。89年のフランス大革命とともに,立憲王政を主張するジャコバン党に属し,機関紙《憲法の友》の編集に従事するが,やがて共和派に転じ,軍務に復帰する。しかし,オルレアン公の陰謀に関与したかどで,93年2度投獄される。1800年執政ナポレオンの知遇を得,砲兵少将となり,03年ナポリ派遣軍司令官に任ぜられたが,赤痢でターラントで病没。1日しか公演されなかったオペラ台本,未完の《女子教育論》(1783),《ボーバン頌について》(1786)や若干の政治論文があるが,彼の名を不滅にしたのは,発表当時好色モデル小説として評判になった《危険な関係》である。今日では,革命前夜の貴族階級の堕落を告発した作という説もあるが,知性と情念の相克を主題とし,後者が勝利を得る過程を書簡体小説の技法を縦横に活用して描いた心理小説と考えられている。
執筆者:中川 信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランスの作家。アミアンの小貴族の家に生まれる。若いころから数学に興味を示し、ブルジョアの子弟の学ぶラ・フェール学校に入学。1763年に砲兵隊少尉となった。しかし、七年戦争終結とともに、彼の軍人としての栄光の道は閉ざされ、駐屯兵として各地を転々とした。総裁政府期に才能を認められ、砲兵隊将軍となり、イタリアのタラントで客死した。小説『危険な関係』の素材はグルノーブル駐屯時期(1769~73)に得られ、80年夏から翌年の秋にかけて執筆、二度目のパリ休暇(1781年末から82年5月)のおりに完成されたと推定される。83年以来デュペレなる女性と親しく交わり、一児をもうけたのち86年に結婚している。大革命期にはオルレアン公の秘書となり、バレンヌ逃亡以後の国王失墜を策すが、恐怖政治期にピクピュスに監禁され、テルミドール以後釈放された。ラクロは数編の詩、オペラ台本、『女子教育論』などを書いているが、一編の小説『危険な関係』によってのみその名を不朽にした。小説は、よき父親、夫であった彼の復讐(ふくしゅう)の結実とする見方、また彼が軍隊内のフリーメーソン幹部であったという説もある。
[植田祐次]
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