ラスター彩 (ラスターさい)
lusterware
lustreware
陶器の釉薬において金属酸化物に起因する輝き,あるいはこの輝きをもつタイプのイスラム陶器をいう。日本では〈虹彩手〉〈きらめき手〉と呼ばれている。技法的には,スズ釉による白色陶器(素地を青緑,藍彩にする例もある)に銀,銅酸化物(硝酸銀,硫化銅)を含む顔料で絵付をし,低火度還元炎で再度焼成する。呈色は黄金色が多いが,釉薬の成分,焼成温度などによって微妙に変化するので,黄褐色,赤銅色を呈することもある。
ラスター彩の技法は9世紀にメソポタミアで創始され,次いでエジプトに伝えられてファーティマ朝下で発達し,王朝滅亡後はイランに伝播した。ここではカーシャーン,サーベなどを中心に12~13世紀に最盛期を迎え,18世紀まで命脈を保った。一方,スペインのアンダルシア地方やバレンシア(マニセス)では,13~14世紀から17世紀にかけて,いわゆる〈アルハンブラの翼壺〉に代表されるイスパノ・モレスク陶器が生まれた。装飾文様と器種(タイルを含む)は共に多様である。通常,文様は白地にラスター彩で表現されるが,ときには逆に白抜きで表現される。高度の焼成技術と資力を要するラスター彩の製作は,おそらく豪商や貴族をパトロンとした特定の家系の陶工に独占されていたものと想定される。
執筆者:杉村 棟
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ラスター彩【ラスターさい】
陶器の表面に金属や金属酸化物のフィルム状の被膜を600〜800℃の低火度で焼きつけ,真珠風の光沢や虹彩(こうさい)を出した焼物。この技法は9世紀にメソポタミアで始まったといわれ,次いでエジプトで発達し,のち12,13世紀のペルシア陶器に多く用いられた。その流れをくむものに15世紀のスペイン陶器(イスパノ・モレスク様式)やマヨリカがある。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のラスター彩の言及
【釉】より
…一方,9世紀アッバース朝のサーマッラーをはじめとするオリエントのイスラム世界では,それまでのソーダガラス釉,鉛釉に代わりスズ釉陶器が急速な発展をみ,多彩色の美しいスズ釉タイルがモスクや宮殿の内外を飾った。ことに金属的な輝きをもつ[ラスター彩]は鉛とスズによって合成した釉をかけて焼成し,その上に硫化銅や硫化銀を顔料として描き,還元炎で焼成したもので,顔料の金属の配合,窯の温度によってさまざまな色調を呈した。このスズ釉陶器の技法はやがてイスラム教徒の支配下にあったイベリア半島に伝えられ,13世紀後半から[イスパノ・モレスク陶器]として開花し,さらにイタリアでも模倣され[マヨリカ]陶器として発展をみた。…
【陶磁器】より
…ダマスクスに最初の都市を築いたウマイヤ朝の文化は,ササン朝ペルシアの文化を踏襲する一方で,ローマやビザンティン文化の影響を受け,初期の陶器の装飾にはローマ風の押型の葡萄文やササン朝の円文,ビザンティン陶器の無釉刻文を模したものが多数用いられている。次いで9世紀から11世紀にかけてサーマッラー,ニーシャープールを中心に,イスラム陶器は中国陶磁器の影響を強く受け,白釉,ペルシア三彩,多彩線刻文,それに古くエジプトで焼成されていた[ラスター彩]陶器などが盛んに製作された。さらに12,13世紀には,カスピ海南岸に近いゴルガーン,サーリー,アーモル,テヘラン南部のレイ,カーシャーン,ユーフラテス川上流のラッカなど各地に窯が築かれ,白釉陶器,多彩陶器,ラスター彩,ガブリ手と呼ぶ搔落し文陶器,愛らしい婦人を描いた多彩色のミナイ陶器,ラカビの彩画線刻文陶器など,イスラム陶器はこの期に百花繚乱の観を呈した。…
※「ラスター彩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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