1810年代にイギリスのイングランド中部,北部の紡績・織布業地帯で起きた一連の機械打ちこわし事件。ラッダイトLudditeの名称はネッド・ラッドNed Luddと呼ばれた指導者に由来するが,この人物についての詳細は不明。ラッドの名前は各地で雇用主に対する脅迫の際にしばしば用いられた。労働者がその要求を雇用主側にのませるために組織的に生産手段を破壊することは古くからの伝統的な争議行為の形態であって,ラッダイト運動はその最後の,しかも最大規模のものであった。1810年代は機械化にともなう労働条件の悪化に加えて,対仏戦争の長期化による深刻な不況が進行した時代であった。打ちこわしは11年,中部のレース・靴下メリヤス業地帯に始まり,翌年には北部の剪毛工と綿織物工の間にも波及したが,軍隊によっていずれも鎮圧され,裁判により17人が処刑された。打ちこわし事件は16年ごろまで続くが,1811-12年のような盛り上がりはみられなかった。
執筆者:見市 雅俊
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1811年から1816年ごろにかけて、イギリスで起こった労働者による機械打ち壊し運動。ラダイト運動ともいう。1811年3月、ノッティンガムの編み物工たちによって工業用機械の破壊が始められ、のちヨークシャーの羊毛工業労働者、ランカシャーの綿工業労働者などに波及した。指導者として架空の人物であるとされているネッド・ラッドNed Ludd(ネッド王、ネッド将軍ともいう)の名があげられたところから、この名でよばれている。単なる反近代的運動ではなく、機械の破壊などの威嚇行為を行うことによって、賃金をはじめとする労働条件の改善を求めた運動であり、労働組合運動が発展する以前の段階における労働者による集団交渉の一形態であった。1812年4月のローフォード工場への襲撃事件などが有名であるが、このころから政府によって、中心的参加者の処刑、軍隊の動員などの抑圧策がとられたため、運動は1816年ころ沈静化した。
[岡本充弘]
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1811年頃から17年にかけてイングランドの北部,中部の繊維工業地帯で散発的に起こった機械打ち壊し運動。生活の激変に不安を感じた労働者の憎悪が新たに導入された機械に向けられたのが原因。その呼称は,徒弟出身の伝説的な覆面の指導者ネッド・ラッドに由来する。
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…弾圧が強いためもあり,恒常的な組織を欠くこともこの時期の特徴である。ラッダイト運動はその好例であり,R.オーエンに指導された全国労働組合大連合(1834)も単に労働時間の短縮だけでなく,新しい秩序を目ざす運動であった。チャーチスト運動は労働者階級による最初の大規模な政治的運動であった。…
※「ラッダイト運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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