イギリスの社会人類学者。1920年代以降のイギリス社会人類学の創設,確立期に指導的な位置にあった。社会人類学を,自然科学の持つ厳密性を備えた学問とするべく,理論的な整理と展開を行った。同時期のマリノフスキーとは学問的立場は異にしながらも,ともに現在の英国社会人類学の祖と考えられている。バーミンガムに生まれ,ケンブリッジ大学に学んだ彼は,リバーズの弟子として,インド洋のアンダマン諸島(1906-08),オーストラリアのアボリジニー(1910-12)の調査を行い,それらの研究を進める中で,1910年ころからそれまでのリバーズたちの進めてきた民族学,とくに伝播主義的側面および歴史再構成的方法と決別し,フランス社会学のデュルケームの方法を取り入れ,諸社会間の比較を可能にする〈社会学〉的な人類学の確立を目ざした。
この時期以降,彼の学究生活は,南アフリカ,オーストラリア,アメリカのシカゴ大学と国外で送られ,決して恵まれた地位と環境にあったとはいえないが,22年に《アンダマン島人》を出版するとともに,アボリジニーの親族組織に関する報告と論文を発表し,また,自然科学の一分野としての厳密性をもった人類学を提唱するなど,その活動は活発であった。37年に,このころアメリカに移りつつあったマリノフスキーと入れ替わるようにイギリスに戻り,オックスフォード大学の最初の社会人類学の教授として迎えられ,また,それまでマリノフスキーの影響が支配的であったイギリスの人類学会を彼の影響下においた。その後は,アフリカ研究を中心として現れたエバンズ・プリチャード,フォーテスらの次世代の研究者の指導者として,構造機能主義理論の一般化と,親族関係,社会構造に関する議論の精密化に努め,その理論の機械主義的な硬直性は批判されながらも,イギリス社会人類学の基礎を確立した功績は広く認められている。
執筆者:船曳 建夫
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イギリスの社会人類学者。ケンブリッジ大学で自然科学から人類学へ専攻を変え、卒業後、1906年から1908年にかけてベンガル湾東部のアンダマン島で調査を行った。その後、オーストラリア、アフリカ、アメリカなどで調査を進める。ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス、ケンブリッジ大学講師を経て、ケープタウン、シドニー、シカゴ、オックスフォード各大学教授。王立人類学協会会長(1939~1940)をも務めた。シドニー大学では雑誌『オセアニア』を創刊。アンダマン島での成果は『アンダマン島民』(1922)で発表されたが、これは同年に出版されたマリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』とともに機能主義人類学の先駆をなした。従来の進化主義や伝播(でんぱ)論のように、社会の諸制度を説明する際、歴史的資料から発展段階を追うという方法を排し、自然科学の方法を社会の分析にも適用すべきだとし、社会の一般法則を帰納的に研究する学問を社会人類学と名づけた。彼によれば、社会は体系的統一をなしていて、各文化要素は異なる機能をもちながらそのなかに統合されている。そして慣習・儀礼など各文化要素が全体としての文化の統一のためになす貢献が「機能」であり、これらの諸機能を考察することにより、社会のなかの複雑な関係の網の目である「社会構造」を研究するのが社会人類学の目標であるとした。主著は前記のほか『未開社会における構造と機能』(1952)、『社会人類学の方法』(1958)など。
[豊田由貴夫 2019年1月21日]
『青柳まち子訳『未開社会における構造と機能』(1981/新版・2002・新泉社)』
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[歴史]
社会人類学を一つの学派として見たとき,それはイギリス流構造機能主義と,少なくともある時期までは同義であった。この学派は1920年代の初めから活躍しだしたマリノフスキーとラドクリフ・ブラウンという,その理論的方向が決して同じではなく,あるときには対立的でもあった2人をその祖として始まった。それぞれの最初の主たる著作(マリノフスキーの《西太平洋の航海者たち》,ラドクリフ・ブラウンの《アンダマン島人》)を同じ年(1922)に出版した後,20年代,30年代には,マリノフスキーはイギリスにおいて,ラドクリフ・ブラウンは南アフリカ,オーストラリア,アメリカにおいてそれぞれ研究活動を続けるとともに,後進の指導,言い換えれば社会人類学者の育成を行った。…
…しかしE.デュルケームはこれを批判し,クロウ型は母系出自と,オマハ型は父系出自と関連すると指摘した。 A.R.ラドクリフ・ブラウンはこうした仮説を批判しながら,親族名称と社会的行動の両方を含む親族体系という概念を発達させ,親族名称と親族間の特殊な権利・義務との双方の基盤となる構造的諸要因を抽出しようと試みた。単一の社会学的原理と親族名称との直接の機能的関連を否定したマードックは,社会学的諸原理が相互に影響しあいながら親族名称と対応してゆくとして,親族名称を出自,分族制,婚後居住規制,規定的縁組などの社会学的諸原理と組み合わせて11の型を設定した。…
…ドイツ,オーストリアはもとより,イギリスにおいてもアメリカにおいても,異民族・異文化に関する研究の初期には,こうした意味での民族学的傾向が顕著であった。社会人類学は,イギリスにおけるこの学派の創始者であるA.R.ラドクリフ・ブラウンによれば,人間の社会関係の分析に重点を置いた理論科学であり,比較社会学とも呼ばれる。彼によれば,文化は直接的な観察の不可能な抽象概念であるとして研究対象からしりぞけられ,具体的に観察できる人間の行為を介してとらえられる社会関係が,分析と理論化の対象とされる。…
…直系型家族は家族内の人間関係として,夫婦関係,親子関係,兄弟姉妹関係のほかに祖父母と孫の関係があり,これが家族の強固な統合を形成するうえで強い機能を果たしている。 イギリスの社会人類学者ラドクリフ・ブラウンは親子関係のように隣接する世代間の人間関係はしばしば対立的関係であるとして,このような傾向を世代原理と呼んだ。これに対して2世代はなれた祖父母と孫の関係はつねにきわめて親和的であり,これを隔世代合同の原理と名付けた。…
※「ラドクリフブラウン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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