ラーマーヌジャ
Rāmānuja
生没年:1017-1137
中世インドの宗教家,哲学者。南インド,現在のチェンナイ市(旧マドラス市)の西,シュリーペルムブードゥールに生まれ,16歳で結婚,のちにカーンチープラムに住んで,シャンカラ派のヤーダバ・プラカーシャの教えを受けたが,意見の相違から師と訣別したという。処女作は,ウパニシャッドの趣旨を明らかにしようとした《ベーダールタ・サングラハVedārtha-saṃgraha》であるといわれ,主著は《ブラフマ・スートラ》に対する最初の宗派的色彩をもった注釈《シュリー・バーシャŚrī-bhāṣya》である。10世紀になると,南インドにおいてヒンドゥー教ビシュヌ派の一派シュリーバイシュナバ派のアラギヤと称する学者たちの間で,信愛(バクティ)を強調する大衆的なナーラーヤナ崇拝を,ベーダーンタ哲学によって哲学的に基礎づけようとする動きがおこった。この試みに最初に成功したのがラーマーヌジャであった。彼はベーダーンタ哲学のブラフマンとビシュヌ教の最高人格神ナーラーヤナとは同一であるとした。ブラフマンは無限にして,完全無欠な属性を備え,世界の動力因であり質料因である。ブラフマン,個我,物質世界の3者はすべて実在であり,それぞれ明確に本性を異にしていて別異である。ブラフマンは個我と物質世界との内制者であって,3者は不可分離の関係にある。この意味でブラフマンは個我および物質世界とは不一不異である。個我と物質世界はブラフマンの身体であり,様相である。それゆえに,ブラフマンは両実在によって限定されている。この限定されたブラフマンは他の2実在と不二である。この点から彼の哲学的立場は被限定者不二一元論といわれる。解脱を求める者はもろもろの宗教上の義務を実践し,神を信愛するとき,神はそれをよみし,神の恩寵によって個我を覆う暗黒は追い払われ,彼は解脱する。彼は正統バラモン哲学と大衆的信仰との融合をはかりながらも,自らは正統バラモンの殻を脱却することはできなかったようである。
執筆者:前田 専学
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ラーマーヌジャ
らーまーぬじゃ
Rāmānuja
(1017?―1137)
生年については異説もある。インドのベーダーンタ学派の哲学者。ビシュヌ教の一派シュリーバイシュナバ派の開祖。南インドのシュリーペルムブドゥールに生まれ、正規の教育を受けたのち、ベーダーンタ哲学者のヤーダバプラカーシャYādavaprakāśa(生没年不詳)の教えを受けた。しかし、師の学説に満足せず、ヤーダバのもとを去って、サンスクリットとタミル両語の学問を統合したナータムニNāthamuniの流れをくむヤームナYāmunaの学説を学んだ。ヤームナの後継者となった彼は、教義宣布のためインド各地を歴訪し、ビシュヌ派の神殿を復興して多くの信奉者を得た。主要な著作として、『ブラフマ・スートラ』に対する注釈書、ウパニシャッドを自説によって解釈した『ベーダールタ・サングラハ』、『バガバッド・ギーター』に対する注訳書などがある。これら諸作品を通じて、彼はベーダーンタの一元論哲学と、民間のビシュヌ信仰との総合を試み、神への信愛の道を説いて下層階級に精神的救済の道を開いた。
[松本照敬 2018年5月21日]
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ラーマーヌジャ
Rāmānuja
[生]?
[没]1137
インドの哲学者,宗教家。伝説では 1017年カーンチー近郊シュリーペルンブドールで生れたとされるが,生年を 55年とする説もある。制限不二論 (ビシシタ・アドバイタ ) を唱えた。ビシュヌ教の伝説を継承。初め不一不異説を主張したといわれるヤーダバプラーカーシャのもとに哲学を学んだが満足できず,ヤームナに師事し,その学説の秘義を伝授されたという。次いで行者として人々を教化し,シュリーランガムにおいてヤームナの跡を継ぎ,多くの信者を得,行者の王 Yatirājaと称された。インドの各地を旅行して布教に努め,多くのビシュヌ崇拝の神殿を復興あるいは建立し,多数の信徒をこの派へ改宗させた。もろもろの個我は最高神とは同一でなく,信仰を欠いた迷えるものである。個我はブラフマンの部分であり,認識し行動する。人は熱烈な信仰心をもって主宰神に対する帰依,祈念の行を実践するならば,その恩寵にあずかり解脱すると説いた。主著『シュリー・バーシヤ (聖注) 』 Srī-bhāṣya。
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ラーマーヌジャ
Rāmānuja
1017頃~1137頃
インドの宗教思想家。ヴェーダーンタ学派に属し,主著はこの学派の根本経典への注釈『シュリー・バーシャ』。南インドのマドラスの近くに生まれる。南インドのヴィシュヌ派の一つシュリーヴァイシュナヴァ派のバクティにもとづいた宗教運動に哲学的基礎を与えた。バクティの対象である人格神ナーラーヤナを存在の最高原理ブラフマンと同一視した。実在性を認められていなかった個我と物質世界にもブラフマンの様相としての実在性を認めた。
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「ラーマーヌジャ」の意味・わかりやすい解説
ラーマーヌジャ
インドの宗教思想家。〈被限定者不二一元論〉を唱える。ブラフマン(梵(ぼん))は主宰神であるビシュヌと同一であり,熱烈な信愛(バクティ)でもって主宰神に帰依するなら神の恩寵(おんちょう)にあずかり,それにより解脱(げだつ)できると教えた。
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世界大百科事典(旧版)内のラーマーヌジャの言及
【アールワール】より
…彼らの詩は10~11世紀ころに《ナーラーイラ・ディブヤ・プラバンダム》(四千詩節集,伝ナーダムニ編)というかたちで集成された。アールワールたちのかもし出した熱烈な一神教的雰囲気を背景に,やがてヤームナムニ,ラーマーヌジャなどの学匠(アーチャーリヤ)たちがシュリーバイシュナバ派の神学体系を確立した。【宮元 啓一】。…
【バクティ】より
…バクティは,とくに南インドのビシュヌ派諸派の間で重要視された。寺から寺へ渡り歩き,バクティにあふれた宗教詩を神像の前で歌い上げた,[アールワール]と呼ばれる神秘主義的詩人たちの言説は,やがて神学的に整備され,[ラーマーヌジャ]によって一応の哲学的な完成を見た。彼によれば,個我が解脱するためにはバクティがなければならない。…
【汎神論】より
…つまり,ブラフマンのみが実在し,世界は虚妄であるという。これに対して,被限定者不二一元論を唱えた[ラーマーヌジャ]によれば,ブラフマンと個我と物質世界はすべて実在するものであり,性質をまったく異にしているから不一であるが,別の面からすれば個我と物質世界はブラフマンの様相であり,ブラフマンを限定している。この限定されたブラフマンは,限定者である個我,物質世界と切り離して考えることはできず,したがって不二であるという。…
【ビシュヌ派】より
…この派は,南インドのタミル地方で,[バクティ](神への絶対的な帰依,信愛)の念にあふれた宗教詩を熱烈に歌いながら寺から寺へと渡り歩いたアールワールと呼ばれる一連の神秘主義的詩人たちの活動を基盤にして,シュリーバイシュナバ(シュリーとビシュヌ)派を生み出した。この派からは,有名な哲学者[ラーマーヌジャ]が現れ,この派の教義をベーダーンタ哲学として整備し,シャンカラの不二一元論に対抗して被限定者不二一元論を唱導し,バクティを解脱への道の最高の手段とした。[クリシュナ][ビシュヌ]【宮元 啓一】。…
【ラーマーナンダ】より
…インドの宗教家。シュリーバイシュナバ派のラーマーヌジャ派系統に属し,1434年ころにワーラーナシーに来てラーマ崇拝,すなわちクリシュナ,ラーダーに対してではなく,[ラーマ]とシーターに対する純粋な信仰を広めた。シュリーバイシュナバ派が下層階級に同情をもちつつもカースト制度を是認していたのに反対し,その差別を撤廃した。…
※「ラーマーヌジャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」