リッピ(英語表記)Lippi, Filippino

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

リッピ
Lippi, Filippino

[生]1457頃.プラート
[没]1504.4.18. フィレンツェ
イタリアの画家。画家フラ・フィリッポ・リッピの子で,父とともにスポレト聖堂の壁画制作に従事し,父の死後はフィレンツェのサンドロ・ボティチェリに師事した。初期の作品はボティチェリに近いが,1480年頃から明るい色彩のより個性的な作風を確立。フィレンツェ,ローマで多くの壁画を制作した。後期の作品は装飾的で,トスカナ地方のマニエリスム的傾向を発展させた。作品は『ヨアキムとアンナの出会い』 (1497,コペンハーゲン国立美術館) ,『聖セバスチャン』 (1503,ジェノバ,ビアンコ宮殿) 。

リッピ
Lippi, Fra Filippo

[生]1406. フィレンツェ
[没]1469.10.8/10. スポレト
イタリアの画家。早くから孤児となり,伯母に育てられ,1421年サンタ・マリア・デル・カルミーネ修道院に入会,1430~32年は同修道院の記録に画家として記されている。初期の作品には同修道院のフレスコ画の作者マサッチオマソリーノ・ダ・パニカーレの影響がみられる。 1434年はパドバで制作,1437年以降はフィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂,サンタンブロジオ聖堂の壁画制作に活躍。 1442年にはフィレンツェ近郊にあるサンクイリコ修道院長となった。 1445年頃からフラ・アンジェリコの影響がみられ,1452年にはプラト大聖堂の壁画をアンジェリコに代わり制作した。その頃サンタ・マルゲリータ修道院の尼僧ルクレツィアと恋愛し,二人の間にのちに画家となるフィリッピノ・リッピが生まれた。崇高ななかに人間的な感情を盛り込んだ画風と,奔放な私生活で知られた。主作品は『聖母の戴冠』 (1447,ウフィツィ美術館) ,『聖アンナの物語を背景とした聖母子』 (1452,ピッティ美術館) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

リッピ(Lippi)

(Fra Filippo ~)[1406~1469]イタリアの画家。フィレンツェ派。現世的、人間的情緒をたたえた聖母子像を好んで描いた。
(Filippino ~)[1457ころ~1504]イタリアの画家。フィレンツェ派。の子。父に学び、のち、ボッティチェリに師事。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

リッピ【Filippino Lippi】

1457ころ‐1504
イタリアの画家。画家フィリッポ・リッピの子。プラート生れ。父の死後,その弟子であったボッティチェリの工房で画業を修める。マサッチョが未完に残したフィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会ブランカッチ礼拝堂の《ペテロ伝》を,1484年ころ完成させる。86年ころ,代表作《ベルナルドゥスの幻想》を制作。続いて1500年前後の約10年間に,フィレンツェのサンタ・マリア・ノベラ教会ストロッツィ礼拝堂や,ローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会カラッファ礼拝堂に大がかりな壁画を制作し,名声を博す。

リッピ【Fra Filippo Lippi】

1406ころ‐69
イタリアの画家。フィレンツェで肉屋の息子として生まれる。カルメル会修道士となるべく,フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の修道院に入れられ,そこで画業を修めた。同教会のブランカッチ礼拝堂には,1425‐28年にマサッチョが師マソリーノ・ダ・パニカーレとともにフレスコ《ペテロ伝》を描いたが,フィリッポ・リッピとその壁画制作との関係は不明である。しかし,32年ころ制作の《カルメル会則の承認》には,明らかにマサッチョの影響による自然主義的な形態感覚がみられる。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

リッピ【Fra Filippo Lippi】

1406~1469) イタリアの画家。修道士でありながら奔放な一生を送り、「聖母子」などの現世的情緒をたたえた宗教画を描いた。息子フィリッピーノ(Filippino1457~1504)も宗教画を残した。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

今日のキーワード

夏至

二十四節気の一つであるが,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) の四季の中央におかれた中気。夏至は太陰太陽暦の5月中 (5月の後半) のことで,太陽の黄経が 90°に達した日 (太陽暦の6月 ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

リッピの関連情報