改訂新版 世界大百科事典 「リンゴ」の意味・わかりやすい解説
リンゴ (林檎)
apple
Malus pumila Miller
バラ科リンゴ属Malusの中・高木性落葉果樹で,園芸上は仁果類に属す。ブドウとともに温帯果樹として最も重要なものである。
形状
葉は広楕円形または卵円形で葉縁に鋸歯がある。花は1花序に数個着生し,中心花から開花して順次外がわに及ぶ。子房下位花で,花柱は5本,その基部は癒着し,細毛を着生している。果実は偽果で,花床の発達した食用部分と子房の発達した果芯部分とからなる。果形は球形から扁球形まで品種によって異なる。
原産,分布
アジア西部からヨーロッパ南東部の原産。世界各地の温帯域に広く栽培されている。ヨーロッパのリンゴは4000年以上の栽培歴をもつ最も古い果樹で,スイスの杭上住居の遺跡からは炭化したリンゴが発掘されている。ギリシア時代にはリンゴの栽培種と野生種が区別され,テオフラストスは接木による繁殖法と栽培法を述べている。ローマ時代の大プリニウスはマルスまたはマルムの名で,リンゴのほかにかんきつ類,モモ,アンズ,ナツメ,ザクロなどを記載し,リンゴを果実類の代表名とした。この呼称は16~17世紀まで使用された。その後,リンゴはヨーロッパ各地に伝わり,とくにイギリスは,19世紀末まで世界一の生産国であった。アメリカへは約350年前にリンゴ酒の原料として導入されたが,19世紀の後半からは育種および栽培法の改善によって,生食用の品質のよい果実が生産されるようになり,現在では質・量ともに世界一の大産地になっている。
一方,中国ではリンゴおよびその近縁種の栽培は古い。最近の考古学の発掘によれば,湖北省の江陵戦国墓よりリンゴの果核が出土したという。文献的には,《神農本草》(1~3世紀),《広志》(3世紀)に〈柰(だい)〉の字があらわれ,さらに6世紀の《斉民要術》に至って栽培方法についての詳細な記述が残る。それらによれば柰のほかにも,頻婆,蘋果あるいは林檎の呼称があった。柰,頻婆および蘋果は同一のもので,西域から古い時代に渡来した現在の栽培種リンゴ(セイヨウリンゴ)と同種と考えられている。しかし中国原産で日本でも古くから栽培されていたジリンゴ(ワリンゴ)M.asiatica Nakaiも花紅(果)や沙果の名で食用に栽培されていた。もともと林檎の名はこれに対するものであった。
日本の栽培史
日本に原生するリンゴ属植物はズミとエゾノコリンゴM.baccata Bork.の2種のみであり,ジリンゴやセイヨウリンゴの原生はみられない。日常の菓子として〈林檎〉が文献に現れたのは鎌倉時代の半ばごろであり,平安時代にはまだ中国から渡来していなかったか,渡来していても栽培はまれであったようである。江戸時代になるとリンゴの栽培が普及するようになるが,明治以前に栽培されたのは,中国から渡来した花紅であり,ワリンゴまたはジリンゴと呼ばれ,柰または林檎と記された。明治以後に導入されたリンゴとは種を異にするもので,現在はその栽培がみられない。現在日本で栽培されているリンゴはセイヨウリンゴで,文久年間(1861-64)に欧米諸国から初めて導入されたといわれるが,本格的な導入は明治初期の開拓使によって行われた。それらの苗木は勧業寮が中心となって各地に配布され,東北地方,北海道,長野県などの適地で栽培が進展した。当初,それらを従来から栽培されていたジリンゴと区別するためにオオリンゴと呼んだが,果実が大きく,品質のよいオオリンゴがジリンゴの栽培を圧倒し,それとともにオオリンゴは単にリンゴと呼ばれるようになって現在に至った。
品種
明治初年から現在まで日本に導入された品種は600以上にのぼるが,経済栽培されている品種は,導入品種と日本で育成された品種を合わせても10余品種にすぎない。おもなものを表にあげたが,このほかにも試験研究機関や栽培家によって新品種の育成が行われており,あかね,はつあき,北の幸,東光,世界一,千秋,あかぎ,王林,アルプス乙女,陽光などは近年発表された新品種である。
栽培
年平均気温7~12℃,夏季の気温18~24℃,年降水量600mmくらいの地域が適地といわれる。日本では東北地方,北海道および長野県が主産地。排水がよく土層の深い肥沃な土壌が適す。繁殖はマルバカイドウ,ミツバカイドウまたはリンゴの台木に切接ぎや芽接ぎによって行う。近年はイギリスで育成されたM系やMM系などの矮性(わいせい)台木を利用して樹体を小型に仕立て,栽培管理や収穫の能率化をはかるための矮化栽培が普及しつつある。リンゴは自家結実性が低いので,結実確保のために親和性をもつ他品種の花粉を受粉しなければならない。そのため,ミツバチやハナアブなど受粉媒介昆虫の利用や人工受粉を行う。果実は幼果期に30~50葉当り1果の割合で残すよう摘果する。近年は化学物質を利用した薬剤摘果(花)も行われる。摘果後は病害虫防除と果実の外観や着色を調節するため袋掛けを行う。袋掛けは労力がかかり,果実の品質も低下するので,無袋栽培が奨励されている。袋掛けされた果実は収穫の1~2ヵ月前に袋を除いて着色を促す。病害にはモニリア病,斑点落葉病,うどんこ病,赤星病,黒星病,腐爛(ふらん)病,白紋羽病,ウイルス病などがある。ウイルス病を除いて他の病気は薬剤散布によって防除する。害虫にはカイガラムシ類,アブラムシ類,モモシンクイガ,ナシヒメシンクイガ(ハリトオシ)などがあり,それらも適期の薬剤散布によって防除する。収穫は手労働で1個ずつ行う。リンゴは一般に貯蔵性がよく,とくに呼吸作用を低下させると長期間保つことができる。そのため,0℃に近い低温の貯蔵や,酸素と炭酸ガスの組成割合を変えて3~4℃下で貯蔵するCA貯蔵によって,現在ではほぼ周年にわたってリンゴが食べられるようになった。
利用
日本では生産量の約95%が生食用だが,欧米では40%以上がリンゴ酒,リンゴソース,ジュース,ブランデー,ビネガー,ジャム,ゼリー,プレザーブ,シロップ漬,アップルパイ,焼きリンゴなどの加工原料に利用される。なおラテン系民族の飲物として重要なものはブドウ酒であるが,アングロ・サクソン民族ではリンゴ酒がそれにあたる。
近縁種
北半球に分布するリンゴ属植物は約25種。それらはリンゴやカイドウ類,ズミ類,クロロメレス類の3グループに分けられる。
(1)リンゴ類 リンゴのほかにヨーロッパ中部から西部原産のM.sylvestris Miller,アジア西部からシベリア南西部原産のM.astracanica Dum.,中国原産のワリンゴ,イヌリンゴM.prunifolia Bork.,カイドウ,エゾノコリンゴ,ナンキンカイドウM.halliana Koehne,ペキンカイドウM.spectabilis Bork.が含まれる。日本にはそれらのうちエゾノコリンゴのみが自生する。(2)ズミ類 このグループには中国の華中および西部地域に原生するものが多く,日本で台木に利用するズミ(別名サナシ,ミツバカイドウ,コリンゴ)は本州中部から北海道にかけて分布している。この種には変種が多い。(3)クロロメレス類 このグループには6種ほどが含まれるが,いずれも北アメリカの原産で果樹としては栽培されていない。
執筆者:志村 勲
伝承,民俗
リンゴは古くから知恵,不死,豊饒(ほうじよう),美,愛などのシンボルとして知られ,そのことは神話や伝説の多くに反映している。旧約聖書ではエデンの園のアダムとイブが食べたとされる知恵の木の実としてのリンゴが有名であるし(ただし聖書にはリンゴと特定できる記述はない),ケルト人は天国を〈リンゴの国〉と表現している。ギリシア神話で女神ガイアはゼウスとヘラの結婚式の贈物に黄金の実をつけるリンゴの木を贈っている。このリンゴの木は,のちヘスペリデスの園に植えられ,英雄ヘラクレスが取りに赴いた。また争いの女神エリスが〈いちばん美しい女神へ〉といって投げこんだ黄金のリンゴは,三女神(ヘラ,アテナ,アフロディテ)の美の競演をひき起こし,トロイア戦争の遠因となった。駿足の女狩人アタランテとの競走に,黄金のリンゴを投げて時を稼ぐことでこれに勝ち,求婚に成功したメラニオンあるいはヒッポメネスの話もよく知られている。ゲルマン神話には女神イズンの〈若返りのリンゴ〉の話がある。詩の神ブラギの妻イズンは〈若返りのリンゴ〉をトネリコの箱にしまっており,神々は年をとるとそれを食べる。すると若返って世界の終末まで年をとらないでいられる。ところが,巨人シャチにこのイズンがリンゴもろとも奪われたことがあった。このため神々はどんどん年をとり始め,おおいに困った。この話では若さの秘密がリンゴに託されている。またオーディンがリンゴをとどけて孫レリルの妃を妊娠させる話には女性の多産との関係がうかがわれる。リンゴは豊饒の女神フレイヤに捧げられているのである。ドイツでもリンゴは結婚式の贈物によく用いられた。スイスの多くの州でも,リンゴが結婚式の食事の皮切りになるし,新郎新婦はリンゴの花で飾られた。
またリンゴは神聖な木と考えられ,占いによく使われた。クリスマスの夜や大晦日の夜には若い娘がリンゴの皮をむいて肩ごしに後ろに投げ,皮のつくるOとかTという文字から未来の夫の名を読みとろうとした。聖トマスの日(12月21日)の夜にはリンゴを二つに切って芯を調べ,もし種が偶数で一組になっているとまもなく結婚でき,奇数だとだめだという。庭のリンゴの木が秋に2度目の白い花を咲かすと所有者は死ぬともいう。このように人の幸・不幸とリンゴが深くかかわっていることから,ドイツのいくつかの地方では男の子が生まれると,リンゴの木を誕生樹として植え,だいじに育てる習慣があった。リンゴの予言力と関係あるものに〈占い棒dowsing rod〉がある。リンゴの若枝からふたまたのところを切りとり,それを手にとって水脈や鉱脈のありかを探る。現代でも金属の棒で占い棒がつくられ,水道の漏れなどを調べるのに使われている。
最後に聖人の持物としてのリンゴにふれよう。よく絵画や彫刻に,聖母マリアやマリアに抱かれた幼児イエスが手にリンゴをもち,これに十字架のついていることがある。これは十字架による世界の統治を意味するとも,ラテン語のmalum(リンゴ)とmalus(悪)との類似から,悪の征服を象徴しているともいわれる。カール大帝も右手に剣,左手にこのようなリンゴをもって絵に描かれている。
執筆者:谷口 幸男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報