コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ルオー ルオーRouault, Georges

6件 の用語解説(ルオーの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルオー
ルオー
Rouault, Georges

[生]1871.5.27. パリ
[没]1958.2.13. パリ
フランスの画家。家具職人の子として生れる。 1885~90年ステンドグラス職人の徒弟となり,シャルトル大聖堂のステンドグラス修復に従事。 91年エコール・デ・ボザールに入学し,G.モローに師事。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

ルオー(Georges Rouault)

[1871~1958]フランスの画家。黒く太い輪郭線、単純な形態、深く輝くような色彩を特色とする。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

ルオー

フランスの画家。パリ生れ。初めステンド・グラスの職人であったが,1891年パリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入り,G.モローに絵画を学ぶ。同門にマティスマルケらがおり,やがて彼らとともにフォービスムの一翼をになった。
→関連項目出光美術館サロン・ドートンヌバレエ・リュッスボラール三岸好太郎

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ルオー【Georges Rouault】

1871‐1958
フランスの画家。パリに生まれ,少年時代ステンド・グラスの工房で徒弟修業。1890年画家を志し,翌年エコール・デ・ボーザール(国立美術学校)に学びマティスと知りあう。ローマ賞に2度失敗。98年,エコール・デ・ボーザールでの師G.モローの遺贈した美術館の初代館長となる。1903年サロン・ドートンヌの創立に参加。初期には,社会の不正義への怒り,人生の悲しみを,娼婦,裁判官,道化,郊外の貧しい人々などのテーマに託して,青を主調として描く。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

ルオー【Georges Rouault】

1871~1958) フランスの画家。人間の内奥をみつめ、宗教的題材や道化・旅芸人・娼婦などを重厚で強烈な色彩で描く。代表作「キリストの顔」など。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルオー
るおー
Georges Rouault
(1871―1958)

フランスの画家、版画家。ピカソマチスたちとともに20世紀を代表する画家の1人。5月27日、パリに家具職人の息子として生まれる。1885年からステンドグラス修復の工房に徒弟修業し、かたわら装飾美術学校の夜間コースに学ぶ。90年、絵画に専念することを決意し、エコール・デ・ボーザールのエリ・ドローネーの教室に学び、92年よりドローネーの後任ギュスターブ・モローの教えを受ける。モローの推挙でローマ賞を志すが二度にわたり失敗、学校をやめたあとリギュジェの修道院に入り、ここでユイスマンスたちと知り合い、内面的、宗教的な感情を養う。98年のモロー没後に旧宅に設置されたモロー美術館の館長を務め、1903年のサロン・ドートンヌの創立に参加。このころからルオーは、修業時代の基本的にはアカデミックであった主題と画法を捨てる。この、第一次世界大戦前後に至る初期には、尊敬する師モローの作品の影響下に水彩を主とし、幅の広い動的な筆触、青を基調とする色彩に託して、社会的な不正義に対する怒りと悲しみを、道化、娼婦(しょうふ)、裁判官、郊外の貧しい人々などの主題で描く。『鏡の前の娼婦』(1906・パリ国立近代美術館)などがその代表作。それらは筆触の強さ、色彩の表現性で、同時期のフォービスム、あるいはピカソの「青の時代」と類縁性をもつが、独自な精神性を備え、フランスにおける表現主義の表れとみることができる。
 1917年、彼は画商ボラールと専属契約を結び、以後、『ミセレーレ』(1917~27制作、1948刊)などの連作版画集に制作の大半の時間を費やしている。油彩を中心とするルオーの中期の制作もこのころに始まる。版画技法の習熟から得た広い筆触による隈(くま)取り、透明感のある緑・青・褐色を厚塗りする激しいマチエールなどの手法が用いられ、引き続き娼婦、道化、裁判官などの主題が描かれるが、初期における罪、絶望の表現とは異なり、静かな内面的世界が描かれる。とくに、30年代以降、キリスト教的なテーマが多くなり、それらが、しばしば道化、裁判官、郊外などのテーマと合体し、救済と恩寵(おんちょう)の世界へと転換してゆき、中世、ルネサンス以降、真の意味での宗教画家としてのルオーの世界が成立する。代表作は『ベロニカ』(1945・パリ国立近代美術館)など。45年のフランス東部のアッシーの教会のためのステンドグラスなども注目される。
 1952年ごろからの晩年の作品は、主題も多様化し、色彩も赤、黄色などが多くなり、マチエールの深さと相まって輝くようなきらめきを生んでいる。ボラールの死後、訴訟を起こして未完の旧作を取り戻し、48年にはそのうち315点を焼くという、ルオーの完全主義を物語る事件もあった。58年2月13日パリの自邸に没し、国葬が行われた。
 連作版画集『流星のサーカス』(1938)、『受難』(1939)などのほか、リトグラフ挿絵入りの『私的な思い出』(1925)、『独言』(1944)の著作もある。死後未完の作品約200点がパリ国立近代美術館に納められた。[中山公男]
『P・クールティヨン解説、中山公男訳『ルオー』(1976・美術出版社) ▽B・ドリヴァル著、高階秀爾訳『ルオー』(1961・美術出版社) ▽柳宗玄解説『現代世界美術全集12 ルオー』(1972・集英社) ▽イザベル・ルオー目録作成、柳宗玄他訳『ルオー全版画』(1979・岩波書店) ▽高田博厚・森有正著『ルオー』(1976・筑摩書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内のルオーの言及

【モロー】より

…91年からエコール・デ・ボザール教授となり,自己の作風をおしつけることなく,生徒の個性を尊重する自由な教育方針で,多くの若手画家を育てた。モローを敬愛してその門下に集まった画家に,H.マティス,G.ルオー,A.マルケ,カモアンCharles Camoin,マンギャンHenri Charles Manguinらがおり,彼らは20世紀初頭,フォービスムを起こして新しい絵画動向を担った。生涯を送ったパリ,ラ・ロシュフーコー街の自宅は,死後,国に寄贈され〈モロー美術館Musée Gustave Moreau〉となった。…

※「ルオー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

ルオーの関連キーワード廃藩置県劉邦高祖劉邦岡山(県)馬王堆漢墓新教育高田藩北海道開拓農家

今日のキーワード

稀勢の里寛

1986- 平成時代の力士。昭和61年7月3日生まれ。中学卒で鳴戸部屋に入門し,平成14年3月初土俵。16年5月新十両,同年11月には18歳4ヵ月で新入幕をはたす。18年7月新三役小結,21年3月新関...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ルオーの関連情報