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ルーアン Rouyn

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルーアン
Rouyn

カナダ,ケベック州南西端の鉱山都市。オンタリオ州に近いオシスコ湖畔に位置する。 1922年金・銅鉱の発見とともに居住が始った。西隣のノランダとともに州西部の鉱業地域の商業,経済の中心地として発展。金,銅の採掘,精錬のほかに,林業や酪農も行われている。住民の多くはフランス系。人口1万 7319 (1986) 。

ルーアン
Rouen

フランス北西部,セーヌマリティム県の県都パリ北西約 120km。セーヌ川の重要な河港。パリの外港で,外洋船の入港が可能。古くはローマの商業中継地として栄えた。9世紀中頃ノルマン人が占領,912年ノルマンディー公国の首都。中世,特にワインの積出港として発展した。百年戦争により 15世紀初頭イギリスが占領。 1449年復帰。 16世紀には通商,学芸の町として繁栄,ルーアン商人は海外にまで進出,活躍した。港は 17世紀末,ナントの勅令の廃止以後一時衰退したが,19世紀中頃,港湾施設の改修,拡充により再び活発化,重要な貿易港となり,現在,石炭,原油,鉱石,鉄材,小麦粉などを輸入し,石油製品,金属,機械,肥料,繊維などを輸出。大都市圏工業地帯では繊維・化学工業を主に,精油・製紙・機械工業などが盛んで,皮革加工なども行われる。南東郊に新都市ボードルイユを建設。ジャンヌ・ダルクの幽閉された塔や,火刑場所を示す敷石のある広場,代表的フランス・ゴシック建築ルーアン大聖堂 (11~16世紀) をはじめ多くの史跡,聖堂,中世の住居が残り,町全体が美術館といわれ,観光の町としても知られる。作家 G.フロベールの生地。人口 10万9425(2008)。

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百科事典マイペディアの解説

ルーアン

フランス北部,セーヌ・マリティム県の県都。パリ北西約123km,セーヌ川右岸の商工業都市。造船・金属・精油・化学・繊維の諸工業が行われる。パリの外港で,食品,炭化水素,木材,繊維,熱帯果物,ブドウ酒,工業製品などが輸出入される。
→関連項目ノルマンディー

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世界大百科事典 第2版の解説

ルーアン【Rouen】

フランス北部,セーヌ・マリティム県の県都。人口10万5000(1990)。パリとル・アーブルの中間にあるセーヌ河畔の工業都市で,ノルマンディーの旧主都。古来パリの外港として発展し,現在は石炭,石油,木材などの輸入と,パリ,ルーアンで生産される工業製品の輸出が行われる。伝統的な紡績工業に加えて製鉄造船業などの重工業のほか,近年は石油化学工業の発展が著しい。 ノートル・ダム大聖堂は,フランス・ゴシック建築の代表作の一つで,大半が13世紀に建てられた。

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大辞林 第三版の解説

ルーアン【Rouen】

フランス北部、セーヌ川下流にある河港都市。パリの外港をなし、工業が盛ん。古くノルマンディー公国の首都。ルアン。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルーアン
るーあん
Rouen

フランス北西部、セーヌ・マリティーム県の県都。パリの北西123キロメートルに位置し、セーヌ川が市内を貫流する。ノルマンディー地方の古くからの中心都市。人口10万6592(1999)。ローマ時代からの歴史の古い町で、第二次世界大戦中は連合軍の爆撃で甚大な被害を受けたが、ノートル・ダム寺院、サントゥアン教会、サン・マクルー教会、時計塔、裁判所などのゴシック建築のほか、多くの歴史的建造物が保存されている。大学、控訴院、司教座教会などがあり、第三次産業が主産業で、商業・観光の中心地。河港ながらフランス第4位の商港を有し、西88キロメートルのセーヌ河口に位置するル・アーブルとともに一大工業地帯を形成し、繊維、鉄鋼、化学、食品、石油工業も発達している。ルーアン織はこの町の特産物。[高橋伸夫]

歴史

ケルト時代、ウェリオカッセース人の根拠地で、ラトマグスRatomagus, Ratumagusとよばれた。紀元前1世紀中期以来ローマの支配下に入り、紀元後3世紀にはキリスト教の司教座が置かれ、また北方交易の拠点となった。フランク時代にはその地方伯居住地となったが、841年侵攻したノルマン人に焼かれ、911年サン・クレール・シュール・エプト協約によって成立したノルマンディー公国の首都となった。文化的・経済的活力を取り戻して内外交易の拠点となり、サントゥアン教会など主要な寺院も建立された。12世紀にはコミューヌ(自治都市)を宣言し、「ルーアン市憲章」Etablissement de Rouenを定め、拡大した街を囲む新たな城壁が築造されるほど発展した。13世紀にフランス王フィリップ2世に征服されたが、商人寡頭政の特権都市として保障され、パリとの交易はいっそう密接になり、海軍工廠(こうしょう)も創設され、ハンザ諸都市との関連も深くなり経済的繁栄がもたらされた。しかし、14、15世紀の百年戦争期には、ペストの流行も加わり、その交易上の特権も喪失して衰退した。また、ジャンヌ・ダルク裁判と処刑(1431)の場となった。16世紀に入ると、王権の強化に応じ旧ノルマンディー公法廷がルーアン高等法院となり(1515)、王政の地方拠点都市となった。手織、亜麻(あま)布、製紙工業がおこり、西欧交易も回復した。18世紀にはアフリカとアンティル諸島を結ぶ三角貿易の一角を担った。[千葉治男]

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