米ロッキード社が航空機トライスターを売り込むため、日本や欧州などの政府高官らに巨額の資金を提供していたことが米議会で発覚。東京地検特捜部は1976年9月までに受託収賄や外為法違反、偽証などの罪で計16人を起訴した。政治家は田中角栄元首相、橋本登美三郎元運輸相、佐藤孝行元運輸政務次官の3人。他は大物右翼の
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アメリカ・ロッキード社(現ロッキード・マーチン社)の日本に対する航空機売り込みに絡む第二次世界大戦後最大の汚職事件。この事件は、自由民主党の長期独裁体制の結果生じた政界・官界・財界の癒着構造に起因する典型的な構造汚職であり、田中角栄に象徴される自民党政治の腐敗・金権体質を国民の前に暴露するものであった。
1976年(昭和51)2月4日、アメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会(委員長フランク・チャーチ)の公聴会で、ロッキード社会計検査担当会計士フィンドレーは、同社の工作資金の不正支払いの事実を証言し、続いて2月6日、コーチャン同社副社長は具体的な資金の流れに関する証言を行った。これにより疑獄事件の存在が全面的に明るみに出た。
こうした証言が登場した背景は次のようなものである。アメリカ政府はケネディ政権以降、民間企業による兵器輸出を援助・促進する政策を重視したが、ニクソン政権成立後それがより強化された。ロッキード社はニクソン政権と強く結び付き、政府を窓口とした売り込みと多額の工作資金の使用によって販路拡大を行った。しかしウォーターゲート事件以降ニクソン批判が高まるなかで、こうしたロッキード社の商法が政府援助に基づく資金の不正使用ではないかとの疑惑が生じ、調査が行われたのであった。
調査で判明した疑惑は、全日本空輸に対する大型旅客機(エアバス)L-1011トライスターの売り込みと、防衛庁(現在の防衛省)次期主力戦闘機F-15と対潜哨戒(しょうかい)機P3Cの採用についてであった。ロッキード社はこれら3機種の売り込みのために、日本における同社秘密代理人児玉誉士夫(こだまよしお)と同社代理店丸紅および全日空を通じて総額30億円を超える多額の工作資金を贈賄し、多数の自民党国会議員と政府高官の買収を行ったというもので、疑惑の中心は、時の総理大臣田中角栄が、1972年8月末にハワイで行われた田中・ニクソン会談において総理大臣の職務権限に基づき前記3機種の導入を約束し、その報酬として5億円を収賄したというものであった。
当時の首相三木武夫(たけお)は真相の徹底究明を約束し、1976年2月16、17日、衆議院予算委員会で、当時国際興業社主であった小佐野賢治(おさのけんじ)(1917―86)(児玉の依頼で政界工作をしたとの疑惑)と丸紅・全日空関係者の証人喚問が行われた。一方、東京地方検察庁は警視庁、国税庁との初の合同捜査を開始、事件の全容解明に乗り出した。その結果、76年3月13日、児玉を8億円余りの脱税容疑で起訴したのに続き、日米司法共助の取決めによるコーチャンらの嘱託尋問調書入手により強制捜査を開始、丸紅からは元会長の檜山広(ひやまひろ)(1909―2000)、元専務の大久保利春(1914―91)・伊藤宏(1927―2001)を、全日空からは当時の社長若狭得治(わかさとくじ)(1914―2005)、当時の副社長渡辺尚次(なおじ)(1914―94)らを、国会での偽証、外為法違反、贈賄の容疑で逮捕し、小佐野も偽証容疑で逮捕した。そして7月27日、田中角栄を外為法違反・受託収賄罪で逮捕、8月には元運輸政務次官佐藤孝行(こうこう)(1928― )と元運輸大臣橋本登美三郎(とみさぶろう)(1909―90)をそれぞれ受託収賄罪で逮捕した。このほか11月1日の衆議院ロッキード問題調査特別委員会秘密会で、金銭授受はあるが時効等で逮捕に至らない、いわゆる「灰色高官」として二階堂進、佐々木秀世(ひでよ)、福永一臣(かずおみ)、加藤六月(むつき)の氏名が明示された。また児玉による工作に関与したとして中曽根康弘(なかそねやすひろ)も灰色高官の一人と目され事情聴取を受けたが、その疑惑は解明されずに終わった。
裁判は東京地裁で1977年1月から丸紅ルートと全日空ルート、6月から児玉・小佐野ルートが開始された。被告17人。このうち児玉については結審したが、84年1月17日児玉が死亡したため判決が下されることなく裁判は終了。多額の工作資金の行方はついに明らかとならなかった。注目の丸紅ルートでは、丸紅側が5億円の受渡しを認めたうえで、それはあくまでロッキード社の指示であるものとの「丸紅メッセンジャー論」を展開したが、田中側は5億円授受の際の秘書榎本俊夫(えのもととしお)のアリバイを武器に5億円授受自体を否定した。しかし榎本アリバイは、5億円授受を認める発言をしていたとの前夫人榎本美恵子の証言(81年10月)で崩れた。81年11月、小佐野に懲役1年の実刑判決が下され、82年1月全日空幹部6人に有罪判決(執行猶予付)、6月橋本、佐藤に有罪判決(執行猶予付)が下った。そして83年10月12日、田中に懲役4年の実刑判決、大久保を除く丸紅幹部2人にも実刑判決(大久保は執行猶予付)が下り、総理大臣の犯罪に厳しい断が下った。渡辺を除く被告全員は東京高裁に控訴した。
控訴審判決は、小佐野が実刑判決から執行猶予付判決になった(1984年4月)以外すべて控訴棄却となった(全日空ルートは86年5月、丸紅ルートは87年7月)。その後7名が最高裁に上告した(佐藤は87年7月、伊藤は同年8月上告取下げ。小佐野は86年10月、橋本は90年1月死亡)。最高裁判決は、若狭および檜山は上告が棄却され有罪が確定した(若狭は92年、檜山は95年)。また田中は1993年(平成5)死亡したため公訴棄却となった。
この事件に関連しては、京都地裁判事補の鬼頭史郎(きとうしろう)が布施検事総長の名をかたって三木首相に指揮権発動を求めたニセ電話事件、小佐野授受20万ドルが当時自民党代議士であった浜田幸一(はまだこういち)のラス・ベガス・カジノでの借金返済にあてられたという浜田幸一とばく事件などが起こった。また田中は総選挙での当選を「みそぎ」と強弁し、田中派を率い事実上のキングメーカー(「政界の闇(やみ)将軍」)として日本政治を牛耳(ぎゅうじ)り、歴代法相に親田中派や「隠れ田中派」を起用、その政治力で裁判への介入を図った。これらは民主政治への重大な挑戦との声が強かった。しかし1985年2月に田中が脳梗塞(こうそく)で倒れて以来、その政治力は急速に衰えた。さらに真相究明を主張する三木首相を退陣させようとした「三木おろし」や、上告断念後も検察・裁判所批判を行い、2000年に落選するまで議員活動を続けた佐藤に代表される自民党の政治倫理軽視の姿勢も重大な問題としてクローズアップされた。
[伊藤 悟]
『立花隆著『田中角栄研究全記録 下』(1976・講談社)』▽『立花隆著『ロッキード裁判とその時代1~4』『ロッキード裁判批判を斬る1~3』(朝日文庫)』▽『筑紫哲也著『総理大臣の犯罪――田中角栄とロッキード事件』新版(1983・サイマル出版会)』▽『木村喜助著『田中角栄の真実――弁護人から見たロッキード事件』(2000・弘文堂)』▽『上田耕一郎編著『構造疑獄ロッキード』(新日本出版社・新日本新書)』
ロッキード社(現,ロッキード・マーティン社)の航空機の購入をめぐり,日本の現職首相をまきこんだ国際的な贈収賄事件。1976年2月,アメリカ上院におけるロッキード社コーチャンArchibold C.Kotchian副会長の証言で明るみに出た。ベトナム戦争で大量の兵器を生産・納入したロッキード社とニクソン合衆国政府との結びつきは強く,同社はベトナム戦争後の政府需要の減少を輸出増進で補うため,会社からの贈賄とニクソン政府を通じた売込みとを組み合わせて,外国に強引に発注させる方策をとった。アメリカでニクソンへの反感が高まると兵器生産・輸出企業が政府援助資金を不正流用しているとの疑惑が高まり,上院外交委員会多国籍企業小委員会により調査が進められた。そして76年2月初旬,日本人に対する贈賄についてコーチャンが証言を行い,これを契機に日本で問題化した。
疑惑の中心は1972年8月下旬,ハワイにおける田中=ニクソン会談で,田中角栄が総理大臣の職務権限をもってロッキード製エアバス,トライスターL1101型航空機の大量導入,対潜哨戒機にP3Cの採用を約束し,この代償に5億円を収賄したというもので,これに関連してロッキード社が丸紅,全日空,児玉誉士夫の3ルートを通じて1200万ドル(36億円)にのぼる膨大な工作資金を贈賄したことが明らかになった。このため,収賄罪,所得税法,外国為替および外国貿易法違反などの容疑で前首相田中角栄(1976年7月逮捕),元運輸相橋本登美三郎,元運輸政務次官佐藤孝行,丸紅,全日空の幹部が逮捕され,国会議員17名のほか児玉の関係者その他民間,官庁関係者460名が取調べを受けた。このほか〈灰色高官〉(収賄の情況証拠がある者)延べ18名の官職名が法務省から公表された。国会では衆・参両院にこの事件の調査を目的とするロッキード問題調査特別委員会が設けられ,また東京地方検察庁が捜査を進め,77年から東京地方裁判所で丸紅ルート,全日空ルートなど4ルートに分かれて審理が行われた。81-83年に一審判決が出され,死亡した児玉を除く被告15名全員が有罪とされた(田中は懲役4年・追徴金5億円)。9名が控訴した二審の判決は84-87年に出され,多少の減刑はあったものの,一審の有罪判決は支持された(田中の判決は一審どおり)。7名が上告したが(その後,佐藤は取り下げ,小佐野賢治・橋本は死亡),最高裁は92年全日空ルートの若狭得治元社長に対し上告を棄却,若狭の有罪が確定した。残る丸紅ルート2被告の上告審は,95年最高裁大法廷が桧山広元丸紅会長の上告を棄却し,〈総理の収賄〉が確定した。93年12月田中は死亡し公訴棄却となった。この事件で三木武夫自民党政権は支持率を大幅に低下させ,76年12月の総選挙で過半数を割るという敗北を喫し,退陣した。またこの事件で有罪となった元運輸次官佐藤孝行は,97年9月第2次橋本竜太郎内閣に総務庁長官として入閣し行政改革の推進を担当したが,これに対し世論は強い反発を示し,与党からも反対が表明されたため,約1週間で辞任に追い込まれ,その後の橋本内閣に対する世論調査では,支持率が大幅に低下した。
執筆者:佐々木 隆爾
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アメリカのロッキード社の航空機売込みにからむ大汚職事件。1976年(昭和51)2月,アメリカ議会で同社の工作資金が右翼の児玉誉士夫(よしお)や同社代理店の丸紅に支払われたことが発覚。三木武夫首相は真相の徹底究明を約束,国会では小佐野賢治国際興業社主,丸紅・全日空関係者らの証人喚問が行われた。東京地検も捜査を開始し日米司法共助の取決めでアメリカから資料を入手,関連会社関係者に続いて7月には田中角栄元首相を外為法違反と受託収賄罪で逮捕。総理大臣の犯罪として国民に大きな衝撃を与えた。裁判は77年から丸紅,全日空,児玉・小佐野ルートにわけて行われ,83年の一審判決では田中元首相に懲役4年の実刑判決,ほかの被告も有罪となる。しかし長期裁判となった同事件は,審理中に田中元首相など5人の被告が死去し,公訴棄却となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…これに委員会が反論し,最高裁判所が再反論するという経過もあったが,学界や世論では最高裁判所の立場を支持する意見が有力であった。(3)主権者たる国民の政治責任追及権,知る権利と国政調査権 田中角栄ら政治家の航空機輸入汚職に関する〈ロッキード事件〉の調査(1976)の際にとくに問題となった。この事件では,国会における政治家の証言等は,裁判の公正・独立や職務上の秘密,さらには政治家の人権などを理由として拒否されることが多く,調査は中途半端に終わった。…
…59年全日本愛国者団体会議顧問,61年青年思想研究会を結成,68年同会に武闘訓練を指揮。76年2月ロッキード事件が発覚し,それまでの政財界における黒幕活動が暴露された。ロ事件で起訴されたが,病気で死去したため公訴棄却。…
※「ロッキード事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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