日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
ロッソ・フィオレンティーノ
ろっそふぃおれんてぃーの
Il Rosso Fiorentino
(1494―1540)
イタリアの画家。本名Giovanni Battista di Jacopo。フィレンツェに生まれ、サルトの工房を経て、1517年独立。同門のポントルモとともに、フィレンツェ初期マニエリスムの代表的画家となる。18年のサンタ・マリア・ヌオーバ病院の祭壇画『聖母子と四聖人』(ウフィツィ美術館)と21年のボルテッラ大聖堂のための『十字架降下』(ボルテッラ絵画館)において、当時フィレンツェを支配していた静謐(せいひつ)な盛期ルネサンス様式に対抗し、動勢著しい、新奇で個性的な画風を確立した。24~27年ローマ滞在中、ミケランジェロの影響を受ける。30年ベネチアを経てフランスに赴き、32年以降フォンテンブローのフランソア1世の宮廷画家として、プリマティッチョとともに、『ポモナ』(1532~35)および大画廊の装飾(1534~37)に従事。同地で客死したが、同宮殿の装飾に携わったフォンテンブロー派の指導・育成を通じ、マニエリスム様式のイタリア国外、すなわちフランスやフォンテンブロー様式の影響を受けた北方への普及に大きな役割を果たした。
[三好 徹]