ウフィツィ美術館(読み)ウフィツィビジュツカン(その他表記)Galleria degli Uffizi

デジタル大辞泉 「ウフィツィ美術館」の意味・読み・例文・類語

ウフィツィ‐びじゅつかん〔‐ビジユツクワン〕【ウフィツィ美術館】

Galleria degli Uffiziイタリアフィレンツェのウフィツィ宮内にある美術館メディチ家の収集品をもとに、イタリアルネサンスの名品の宝庫。

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精選版 日本国語大辞典 「ウフィツィ美術館」の意味・読み・例文・類語

ウフィツィ‐びじゅつかん‥ビジュツクヮン【ウフィツィ美術館】

  1. ( ウフィツィはUffìzi ) イタリア、フィレンツェのウフィツィ宮にある美術館。メディチ家の収集品を中心に、イタリア‐ルネサンスの傑作が多い。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウフィツィ美術館」の意味・わかりやすい解説

ウフィツィ美術館
ウフィツィびじゅつかん
Galleria degli Uffizi

イタリアのフィレンツェにある美術館。ルネサンス絵画のコレクションでは質量ともに世界一。建物は,フィレンツェ大公でのちに初代トスカナ大公となったメディチ家コジモ1世政庁として,1560年ジョルジョ・バザーリの設計により起工され,フィレンツェの旧政庁パラッツォ・ベッキオに隣接する事務所(ウフィツィ)となるべきものであった。そのため今日でもウフィツィ宮と呼ばれる。メディチ家歴代の収集品はコジモ1世の時代からウフィツィ宮に集められ始め,1581年以降フランチェスコ1世により保管されるようになった。1737年メディチ家最後の人アンナ・マリア・ルドビカによりトスカナ大公国に寄贈され,彼女の意志により一般に公開される美術館となり,その後イタリア統一によって国立美術館となった。収蔵品には,14~16世紀のイタリア・ルネサンス画家ばかりでなく,17~18世紀のバロックロココの画家,ドイツおよびフランドルの北方ルネサンスの画家たちの重要な作品も含まれている。ジョット・ディ・ボンドーネ『オーニサンティの聖母』,シモーネ・マルティーニ聖告』,サンドロ・ボティチェリビーナスの誕生』『春』,レオナルド・ダ・ビンチ受胎告知』,ミケランジェロ『聖家族』,ラファエロ・サンツィオ『ヒワ聖母子』,ティツィアーノ・ベチェリオ『ウルビノのビーナス』,ミケランジェロ・メリジ・ダ・カラバッジオ『若いバッカス』,アルブレヒト・デューラー『東方三博士の礼拝』,フーゴー・ファン・デル・グース羊飼いの礼拝』などが有名な作品。(→バロック美術ルネサンス美術ロココ美術

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウフィツィ美術館」の意味・わかりやすい解説

ウフィツィ美術館
うふぃつぃびじゅつかん
Galleria degli Uffizi

イタリアの古都フィレンツェにある美術館。ルネサンス絵画の代表的名作を数多く収蔵する。トスカナ大公コシモ1世の治下、フィレンツェの諸官庁(イタリア語でウフィツィ)を統合するために建てられたもので、設計はジョルジョ・バザーリ、1560年に着工し、84年に完成した。後期ルネサンスを代表する宮殿建築で、コの字形をなし、公の住居とされた旧政庁パラッツォ・ベッキオとは渡り廊下でつながる。しかし、当初の予定は変更され、分散していたメディチ家代々の美術品を再収集・保存することになり、以後各時代に傑作が加えられた。これらはメディチ家最後の相続者より、一般に公開することを条件に、1737年トスカナ大公国に寄贈された。1861年イタリア統一王国成立後は国家管理となり古代美術や彫刻は国立考古博物館、バルジェッロ美術館などに移された。現在は古文書と素描がそれぞれ1、2階に集められ、3階にはタペストリーや古代彫刻あるいはその模作に飾られた長いギャラリーがあり、それを取り囲む45の部屋にルネサンスの名画が展示されている。チマブーエドゥッチョ、ジョットらの『聖母子』、シモーネ・マルティーニの『受胎告知』、ボッティチェッリの『春』『ビーナスの誕生』、そしてレオナルド・ダ・ビンチ、ティツィアーノと続く作品は、絢爛(けんらん)と花開いたルネサンス文化の息吹をいまに伝えている。なお、この美術館のあるフィレンツェの歴史地区は世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[湊 典子]

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改訂新版 世界大百科事典 「ウフィツィ美術館」の意味・わかりやすい解説

ウフィツィ美術館 (ウフィツィびじゅつかん)
Galleria degli Uffizi

イタリアのフィレンツェにある美術館。建物はメディチ家のコジモ1世がトスカナ大公国の主要な13の政庁を統合する庁舎の目的で1560年にバザーリに命じて着工させたもので,アルノ川を越えてパラッツォ・ピッティに至る歩廊も加えて,80年に建築家で彫刻家のブオンタレンティBernardo Buontalenti(1536-1608)らが完成。翌年にフランチェスコ1世は,それまでにメディチ家が収集した美術品を展示するために,3階建ての最上階を美術館にした。現在の収蔵品はメディチ家のコレクションを中心に,19世紀から20世紀にかけて諸教会やアカデミア美術館より移管された絵画,購入および寄贈作品などからなり,後期ゴシックからルネサンスを経てマニエリスム,バロックに至るフィレンツェ派絵画の展開を余すところなく伝える。他にベネチア派,ドイツ,オランダ,フランスの絵画,タピスリー,著名な画家たちの自画像も展示されている。2階は10万点を超す作品を収納する版画素描室となっている。
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百科事典マイペディア 「ウフィツィ美術館」の意味・わかりやすい解説

ウフィツィ美術館【ウフィツィびじゅつかん】

フィレンツェにある美術館。Galleria degli Uffizi。1560年―1584年にバザーリメディチ家の公館として建てたもので,メディチ家のコレクションが中心。ボッティチェリをはじめ,イタリア・ルネサンスの諸大家の作品のほか,オランダ,フランドル部門にも名品が少なくない。
→関連項目フィレンツェポンテ・ベッキオ

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