ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロンギ」の意味・わかりやすい解説
ロンギ
Lange, David
[没]2005.8.13. オークランド
ニュージーランドの政治家。首相(在任 1984~89)。フルネーム David Russell Lange。オークランド大学卒業。1966~77年を弁護士として活躍し,オークランド大学では法学の講師も務めた。専門は刑法と犯罪心理学。1977年3月の補欠選挙でニュージーランド労働党から立候補し初当選して以来,1990年まで国会議員を務めた。その間,1979年に労働党副党首,1983年に党首に就任し,ロバート・マルドーン首相率いるニュージーランド国民党の長期政権との対決色を強めていった。1984年の総選挙では与党国民党の経済政策の失策をつき,環境政策の観点から核実験・核開発に反対を表明して世論の支持を集め,労働党を勝利に導いた。1984年,第49代首相に就任すると同時に,選挙公約である核兵器搭載艦船および原子力推進艦の寄港を禁止したため,同盟国アメリカ合衆国との関係が急速に悪化し,アンザス条約は機能停止に陥った。ニュージーランドはアメリカの制裁によって軍事情報の提供を停止され,両軍の軍事演習も中止に追い込まれるなど,両国関係は史上最悪となった。首相在任中に対米関係が修復されることはなかった。1989年,健康上の理由により首相を辞任。2003年にニュージーランド勲章を授けられた。
ロンギ
Longhi, Alessandro
[没]1813. ベネチア
イタリアの肖像画家,銅版画家,伝記作者。風俗画家 P.ロンギの子。初め父に絵を学んだが,のち G.ノガリに師事。 30歳で当代の最もすぐれた肖像画家としての名声を博し,1759年にベネチア・アカデミー会員となった。役人,聖職者,芸術家などを描いたが,鋭い性格描写というより,むしろ表面的な情趣に富むロココ風肖像画が多い。また 18世紀のベネチア派の画家の伝記を書き,自分や父の作品の銅版画も制作した。主要作品『テレサ・バルバリゴ』 (1778,ベネチア,ドナ・デレ・ローズ・コレクション) ,『ピサニ家の肖像』 (60頃,ベネチア,個人コレクション) 。
ロンギ
Longhi, Pietro
[没]1785.5.8. ベネチア
イタリアの風俗画家。本名は Pietro Falca。肖像画家 A.ロンギの父。初め A.バレストラに絵を学んだのち,ボローニャに出て G.クレスピのもとで修業を重ね,1730年過ぎ頃から生地ベネチアに帰り,繊細で風刺を含んだ貴族や市民の日常生活の風俗画を描いた。代表作『百姓の娘』 (パッサーノ市立美術館) ,『演奏家たち』 (ミラノ,ブレラ絵画館) 。
ロンギ
Longhi, Roberto
[没]1970.6.3. フィレンツェ
イタリアの美術評論家。1934年ボローニャ大学美術史教授,のちにフィレンツェ大学に移った。多くの雑誌の発刊に協力したのち,『パラゴーネ』Paragone誌を創刊。主著『未来派の画家たち』I pittori futuristi(1913),『ピエロ・デラ・フランチェスカ』Piero della Francesca(1927)。
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