ローウェル(読み)ろーうぇる(英語表記)James Russell Lowell

デジタル大辞泉 「ローウェル」の意味・読み・例文・類語

ローウェル(Lowell)

米国マサチューセッツ州北東部の都市。メリマック川とコンコード川の合流点に位置する。19世紀を通じて豊富な水力を利用した繊維業によって発展近年は電子機器、プラスチック、機械部品などの各種製造業が盛ん。産業革命時の繊維工場などが残るローウェル国立歴史公園がある。ローエル

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローウェル」の意味・わかりやすい解説

ローウェル(Percival Lowell)
ろーうぇる
Percival Lowell
(1855―1916)

アメリカの天文学者ボストンの資産家の子として生まれる。ハーバード大学で数学を修め、1876年に卒業。祖父の綿業関係の仕事で1年間ヨーロッパに旅行したのち、実業界で活躍した。東洋への興味から、1883~1893年(明治16~26)外交官の資格で日本に滞在し、日本の人情・習慣・ことばなどを研究し、また朝鮮にも旅行するなどして、紀行文や印象記を4冊著したが、なかでも『能登(のと)』(1891)は日本の民俗をよく記している。小学校時代から天文学への興味をもっていたが、1893年、日本から帰国すると私財をもって天文台の建設にとりかかり、翌年、アリゾナ州フラッグスタッフの標高2212メートルの位置に45.7センチメートルおよび30.5センチメートルの望遠鏡を設置した天文台(ローウェル天文台)を完成、1896年には61センチメートル望遠鏡も備えた。彼はまず火星表面の観測に着手した。1877年の火星大接近の際、イタリアのスキャパレリが火星表面に「カナリ」(水路)を発見していたが、ローウェルはこれを人工構造物とみなし、技術をもった生物の存在を仮想し、その検証に熱意を注いだ。彼の火星に関する知見は1903年までに3冊の著作、1枚の写真としてまとめられ、広く普及した。また1916年に『惑星の発生』を著し、天王星の摂動にかかわる天体は海王星だけでなく、ほかにもう一つの未知の惑星があることを予想した。この惑星は彼の死後1930年にトンボーによって発見され、冥王星(めいおうせい)と名づけられた。

[島村福太郎]


ローウェル(Amy Lowell)
ろーうぇる
Amy Lowell
(1874―1925)

アメリカの女流詩人。マサチューセッツ州の名門の出身で、同じ家系にはジェームズ・ラッセル・ローウェル、ロバート・ローウェルの二詩人がいる。1913年に「イマジズム」の文学運動に参加し、エズラ・パウンドの後を襲って主導的役割を担う。日本の俳句の影響を受けた、イメージ中心の詩の運動そのものは、彼女の名をもじって「エイミジズム」などとよばれて短命に終わったが、イマジズムがその後のアメリカ詩に与えた影響は深く長い。エイミー自身は詩集『剣の刃とケシの種』(1914)で、この運動の成果を実らせている。その後は「鍵(かぎ)としての大砲――大扉が開く」のように、日本開港を扱った叙述的要素の強い作品にも手を染めた。こうした作品は二つの文化の出会いという点で興味深いが、その後のアメリカ詩の発展のなかで、彼女は不当に冷遇されているといえるかもしれない。

[徳永暢三]

『上田保訳『剣の刃とケシの種(抄)』(『世界名詩集大成11』所収・1959・平凡社)』


ローウェル(James Russell Lowell)
ろーうぇる
James Russell Lowell
(1819―1891)

アメリカの詩人、批評家、外交官。マサチューセッツ州有数の名門の出身。ハーバード大学卒業。奴隷解放を唱える詩人であった夫人マリア・ホワイトMaria Whiteの影響で、人道主義的改革運動にもかかわった。ヤンキー方言を用い奴隷制や戦争を批判した詩集『ビグロー・ペーパーズ』(第一集1848、第二集1867)、韻文で自己も含め同朋(どうほう)作家を揶揄(やゆ)した『批評家のための寓話(ぐうわ)』(1848)など機知に富む作品が多い。夫人の死後(1853)保守的になり、ロングフェローの後を襲い、母校で近代語講座を担当(1855~1872)、雑誌編集にも従事、いわゆるヨーロッパ風の教養を身につけた「お上品な伝統」の代表格となる。スペイン、イギリス公使も務めた。

[池田孝一]

『志賀勝訳『世界詩人全集 第三巻』(1953・河出書房)』


ローウェル(Robert Lowell)
ろーうぇる
Robert Lowell
(1917―1977)

アメリカの詩人。詩人J・R・ローウェル、女流詩人A・ローウェルの家系に属する1人で、『ウィアリー卿(きょう)の城』(1946)でピュリッツァー詩賞を受け、第二次世界大戦後のアメリカ詩壇の中心的存在となった。初期の詩風は難解で修辞的だが、『人生研究』(1959)以降は平易な口語調に近づいた。内容も大胆に自伝的、告白的で、シルビア・プラス、アン・セクストンなどの詩風に大きな影響を与えた。『連邦軍死者に捧(ささ)ぐ』(1964)、『海のほとり』(1967)、『ノート・ブック67―68年』(1970)などの詩集のほかに、訳詩集『模倣』(1961)や、ホーソンとメルビルの短編から取材した三部作の詩劇『むかしの栄光』(1965)がある。

[新倉俊一]

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