出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ロシア生まれのアメリカの微生物学者.ユダヤ人家庭に生まれ,オデッサの高等学校を卒業後,1910年渡米し,ラトガース大学に入学.1915年卒業後,同大学院で土壌細菌学を専攻し,ついでカリフォルニア大学に移って,1918年学位を取得.ラトガース大学に戻って,1925年準教授,1930年教授となり,1949~1958年同大学に設立された微生物学研究所所長を務めた.土壌微生物の生態の研究から,1930年代末よりそれらが産生する抗生物質に研究を進め,放線菌類を組織的に探索してアクチノマイシン(1941年),ストレプトマイシン(1943年)をはじめ,数多くの抗生物質を発見した.ストレプトマイシンは結核菌に有効で,この功績により,1952年ノーベル生理学医学賞を受賞.また,特許料収入により,上記研究所の設立をはじめ微生物研究の振興に寄与した.なお,抗生物質という用語もかれの命名による(1941年).
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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1888~1973
アメリカの細菌学者。ウクライナ生まれ。土壌細菌の研究中,ペニシリンその他既知の抗生物質のきかない細菌類,ことに結核菌にきくストレプトマイシンを一種の放線菌から発見した(1943年)。その功績により52年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…たまたま重症の肺炎にかかった当時のイギリス首相チャーチルが,ペニシリンによって生命を救われたのは有名なエピソードとなった。一方,このころ土壌微生物間の拮抗現象(生存競争)の研究に従事していたアメリカのS.A.ワクスマンは,ペニシリン発見の報にも刺激され,土壌放線菌の代謝産物を材料として化学療法剤の開発研究を開始した。44年,結核菌を含めた広い範囲の細菌種に有効なストレプトマイシンが発見された。…
…〈微生物によってつくられ,微生物の発育を阻止する物質〉をantibioticと呼ぶことを,アメリカのラトガス大学教授S.A.ワクスマンが1941年に提唱した。日本では,これに〈抗生物質〉という語をあてている。…
…最初に単離された抗結核性抗生物質。1944年,アメリカのワクスマンらによって,アメリカ,ニュージャージー州で得た放線菌Streptomyces griseusの培養液から単離された。ストレプトマイシンの発見により,ペニシリンやサルファ剤が作用しがたいグラム陰性杆菌を含む広範囲の細菌感染症が治癒し,とくに,それまで不治の病として恐れられていた結核が治るようになって,人類に大きな福音をもたらした。…
※「ワクスマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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