日本大百科全書(ニッポニカ)「ワシントン条約」の解説
ワシントン条約
わしんとんじょうやく
Washington Convention
国際取引によって生存を脅かされている野生動植物の保護を目的とする条約。正式には「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora)。略称CITES(サイテス)。この条約は、1973年にワシントンで開かれた国際会議で採択されたために「ワシントン条約」とよばれる。発効は1975年。当時の日本は世界有数の野生動植物とその加工品の輸入国であったため早期加入が求められていたが、国内法の整備に時間がかかり、1980年(昭和55)に60番目の締結国となった。2013年時点で、締結国は178か国。
絶滅の危機に瀕(ひん)しているにもかかわらず野生動植物あるいはそれらを加工した製品の売買は、世界的に増える傾向にある。野放図(のほうず)な乱獲や過剰とも思える取引は野生から動物や植物を次々と減らしていく。ワシントン条約は国際的取引を規制することによって、野生生物を絶滅からあるいは絶滅のおそれから守ろうとする国際条約である。絶滅の程度の高いものから付属書の形でⅠ、Ⅱ、Ⅲに分けられ、文中で具体的に規制する種を細かく定め、輸出入を規制している。
付属書Ⅰは、事実上輸出入の取引ができない厳しいものだが、締結国は特定の動物や植物について留保すれば、その種に限り条約非締結として除外扱いされる。日本は、2013年(平成25)時点で、付属書Ⅰのクジラ7種と付属書Ⅱのサメなど9種が留保扱いとなっている。留保という抜け穴によって、本来商取引が禁じられている種の取引であっても例外扱いとなる。これにより、国内の利益のために留保を継続し、条約によって保護されている原産国の種の自然保護政策をないがしろにしてしまうおそれがある。留保はワシントン条約にみられる諸問題のなかでもっとも深刻なものとしていまも残っている。
また、ワシントン条約や外国為替(かわせ)及び外国貿易法(外為(がいため)法)などによる輸出入の取引規制だけでは、不法に取引されたものについての国内流通は規制できないという問題がある。このため、国内での売買を規制(禁止)する希少野生動植物の国内での取引の規制法(譲渡法。正式には「絶滅のおそれのある野生動植物の譲渡の規制等に関する法律」)が制定され、1987年(昭和62)に施行された。その後譲渡の規制に関する法律は改められ、1992年(平成4)に「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(種の保存法)が成立した。譲渡法は種の保存法のなかに吸収された。
この法律では、「野生動植物が、生態系の重要な構成要素であるだけでなく、自然環境の重要な一部として人類の豊かな生活に欠かすことのできないものであることに鑑(かんが)み、絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存を図ることにより良好な自然環境を保全し、もって現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする」と、野生生物がいかに大切であるかが書かれている。そして「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存のための総合的な施策を策定し、及び実施するものとする」とも書かれているので、「ワシントン条約」とこの「種の保存法」とで、多くの人たちが野生生物の種は、これまで以上に守られると期待した。
種の保存法では、日本国内で絶滅のおそれのある、それぞれの種を具体的に指定し、そのうえで捕獲、譲渡、輸出入にかかわることを規制した。種の保存法は、指定された野生生物の種の生息地の開発などを含め、譲渡法よりいっそう広い範囲をカバーする法律となっている。それらについては生きた動植物だけではなく、剥製(はくせい)や標本、鳥類の卵も規制の対象となる。また規制に違反した場合には罰則が課せられる。
条約の付属書には、かならずしも絶滅のおそれの大きくない種までも加えられているため、それらを規制するのはおかしいという議論も起こっている。しかし、絶滅のおそれのある種に限らず「絶滅予備軍」の種も規制の対象としてこそ保護の有効性は増すと主張する国々もある。付属書に新たに加えられたり、削除される種のそれぞれについては、2年に一度開かれる締結国会議で討議されていく。
付属書に記載されている種の捕獲、譲渡、輸出入の禁止あるいは規制の強化で、野生動植物の保護を図るだけでなく、条約の主旨に沿い、種の保全と持続可能な利用(サスティナブル・ユース)までを図りながら、絶滅の危機が回避された種や増加している個体群の利用についての意見調整をするのも、締結国会議の重要な役割となっている。
またそのうえに、この会議の特色の一つは、非政府組織(NGO)の自然保護団体が参加できることにある。その一つにトラフィックTRAFFIC(野生動植物国際取引調査記録特別委員会the wildlife trade monitoring network)がある。トラフィックは、野生の動物や植物およびそれらを原料とする製品の国際取引に目を光らせモニター(勧告)するための国際的なネットワークで、ワシントン条約の全体を知ることができる組織である。本部はイギリスに置かれ、世界各地に26のオフィスがある。WWF(世界自然保護基金)とIUCN(国際自然保護連合)とは不即不離の関係にあり、国際取引の統計データを検証し、取引の動向をつかみ分析し、政府や民間機関への報告書をつくる。条約に違反する密輸品を洗い悪徳業者をマークする、いわゆるワシントン条約のGメンの役割を担っている。ワシントン条約をめぐる、表に現れにくいさまざまな事柄を、たてまえでなく、保護に関する実態を追求していくことにトラフィックの意義はある。
ワシントン条約は政府間の条約であるにもかかわらず、トラフィックをはじめ環境保護団体の締結国会議への参加と発言が認められている。その種を規制し、付属書のⅠからⅡへと規制を緩めるか、ⅡからⅠへ規制を強めるかなどを締結国会議で決めるとき、トラフィックは議決権はないが発言できる。そこに市民レベルの声が反映され、表決にも大きな影響力をもってくる。
[加瀬信雄]
アフリカゾウ問題
1989年の会議ではアフリカゾウが付属書Ⅱの種からⅠに格上げされた。当初南部アフリカ諸国(ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア)はアフリカゾウを自国の自然経済資源だとする立場から許可制取引の付属書Ⅱを主張し、一方で欧米諸国は付属書Ⅰへの格上げの主張を繰り返した。両案とも否決され議案は暗礁に乗り上げてしまった。結局アフリカゾウは付属書Ⅰの動物とするが、絶滅の危機の少ない地域個体群については将来付属書Ⅱに戻すための特別な検討方法を、次回会議までに確立することで提案は決着された。その結果、1992年の京都会議において、アフリカゾウは持続可能な利用を図るに足る個体群であり、象牙(ぞうげ)の取引などを通じて密猟防止その他にかかる費用を得なければ保護はできないと南部アフリカ諸国は主張し、条約締結に際しアフリカゾウを留保した。このため、地上最大の動物アフリカゾウを自然保護のシンボルとして、取引は全面禁止で当然とする欧米諸国は激しく反発した。また、南部アフリカ諸国はアフリカゾウを付属書ⅠからⅡへ格下げするよう要求、提案したが、採択は見送られ、現状維持となった。しかし、1997年のハラレ会議では、京都会議に続き懸案であったこの問題を、付属書のⅠからⅡへと移し、規制の厳しさを減らすことで解決した。そして限定的だが象牙の取引は再開されることになった。
持続可能な利用を図りながら条約を遵守する。そのうえで生態系と野生生物を守るためには、この条約に限界があることをアフリカゾウは問題提起しているといえる。
[加瀬信雄]