奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮に古来より神宝として伝えられた鉄剣。全長74.9cm。左右交互に各3個の分枝をもつ特異な形状は,《日本書紀》神功紀52年条にみえる〈七枝刀(ななつさやのたち)〉の名と合致する。刀身の表裏両面に金象嵌された61文字の銘文は,4世紀後半の東アジアの国際関係を示す金石文史料として貴重である。銘文は判読が困難な部分が多く,多種の判読案が出されているが,表銘は〈泰和四年五月十六日丙午正陽,造百練銕七支刀,生辟百兵,宜復供侯王,□□□□作〉と読める。冒頭の年号を泰初,泰始とみる説もあったが,今日では泰和4年(369)と判読して東晋年号にあててよい。この表銘文は,〈泰和四年五月十六日の純陽日中の時に,百練の銕(鉄)の七支(枝)刀を造る。百兵を辟除し,侯王の供用とするのに宜しい。某(あるいは工房)これを作る〉の意と考えられる。裏銘文は〈先世以来,未有此刀,百済王世子奇生聖音故,為倭王旨造,□□世〉と読める。七支刀製作の歴史的経緯を記した裏銘文で,解釈は大きく分かれる。神功紀の記事内容から七支刀を百済の献上とみる説は,〈倭王旨〉を表銘で侯王とよんで下賜する銘文内容と排反する。逆にその下賜主体を百済と考える百済下賜説の難点は〈百済王世子奇生〉の部分である。〈世子〉は中国王朝の冊封を受けているか,それを希望する場合の表現であり,〈奇生〉は世子の名とみられる(対高句麗戦に活躍した太子の貴須と音通)。ともに名を記している銘文に即する限り,百済と倭は同等である。したがって倭王旨を侯王とよぶ下賜主体を東晋とする東晋下賜説,また侯王の表現を吉祥句にすぎないと考えて,百済が対等の通交関係において贈ったとする説が残ることになる。裏銘文は〈かつてなかったこのような刀(七支刀)を,百済王の世子である奇生が聖音の故に(東晋の指令によって,倭・済対等説では敬称語尾になる),倭王の旨のために造った。後世に伝示せよ〉の意となる。泰和4年は百済が南下してきた高句麗と戦って勝利した年であり,七支刀はそのような東アジアの情勢の中で倭国が登場することを示すものである。
執筆者:川口 勝康
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良県天理市布留(ふる)に鎮座する石上(いそのかみ)神宮所蔵の伝世呪刀(じゅとう)。「ななつさやのたち」ともよぶ。全長74.9センチメートル、刀身およそ65センチメートルの鍛鉄の刀で、刀身の表と裏とに金象眼(きんぞうがん)の銘文(61字)がある。「泰(和)四年(369)五月十(六)日丙午正陽」で始まるこの銘文には「七支刀」とあり、「百済(くだら)王世子」が「倭(わ)王」にもたらした呪刀であることが判読される。『日本書紀』の神功(じんぐう)皇后52年9月の条に「久氐(くてい)等、千熊長彦(ちくまながひこ)に従ひて詣(いた)り、則(すなわ)ち七枝刀一口、七子鏡(ななつこのかがみ)一面及び種々の重宝を献る」とある例などに基づいて、百済王が服属の証(あかし)として献上した刀と解釈する説があるけれども、銘文のどこにも献上を意味する文言はない。献上説に対して百済王からの下賜説も主張されているが、当時の東アジアの情勢のもとで銘文自体に即して正当に釈文することが必要である。作刀の主体が「百済王」ではなく、「百済王世子」であったことも見逃せない。369年のころは百済の勢力が高まり、371年には百済の勢力は平壌に侵入して、高句麗(こうくり)の故国原(ここくげん)王は戦死する。そうした百済側の状況も考慮しなければならない。石上神宮では長く伝世し、神事でも「七支刀」は神聖視されて、「六(むつまた)刀」「六鉾(ほこ)」ともよばれていた。目釘(めくぎ)穴がなく、茎(なかご)の部分が短いことも注意される。
[上田正昭]
奈良県天理市布留(ふる)町の石上(いそのかみ)神宮蔵の特異な形の有銘鉄剣。長さ74.9cmの鉄剣で,身の左右に3本ずつ枝が出ており,身の表裏に金象嵌(ぞうがん)で61文字の銘文がある。初期の日朝関係史の重要な史料であるが,釈読・解釈についていまだ定説がない。表の銘文は,冒頭に「泰和4年」(中国東晋の太和4年=369年)と年紀をおき,作刀についてのべ,吉祥句を連ねるという構成で,中国風の刀剣銘の定型と一致する。裏は,百済(くだら)王の太子奇生(きせい)が倭王のためにこの刀を作ったと解され,七支刀自体の由来を示す内容となっている。「日本書紀」神功皇后52年9月丙子条にみえる百済から献上された「七枝刀(ななつさやのたち)」が,この七支刀にあたると考えられている。国宝。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…7にも聖数と忌数の両方の性質があり,とくに人生儀礼では生と死,此の世と異界などの移行の儀礼の際に重視されている。7は七福神,七賢人,七珍万宝,七支刀,七曜剣などという反面で,七難八苦,七転八倒,七去,七曲,七化(ななばけ),七変化(しちへんげ),七里結界(けつぱい),七不思議,七人ミサキなどということばがある。また七草,七所祝い,お七夜,初七日,七五三,七つ祝い,七庚申,七墓詣など民俗儀礼ではたいせつな数とされている。…
…(a)前期 記紀年代を修正すれば,4世紀後半より5世紀末までにあたる。石上神宮の七支刀(しちしとう)の銘に,泰和4年(369),〈百済王〉から〈倭王〉に,国交開始を記念するためであろう,七支刀が贈られたことが記され,広開土王碑に辛卯(391)より甲辰(404)まで,倭が百済,新羅と交流をもちつつ,高句麗とはげしく戦ったことが記録されている。その主体となった倭王もヤマト王権をさす。…
※「七支刀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新