七支刀(読み)シチシトウ

デジタル大辞泉 「七支刀」の意味・読み・例文・類語

しちし‐とう〔‐タウ〕【七支刀】

奈良県天理市の石上神宮いそのかみじんぐう伝世鉄剣。長さ約75センチ、左右に3本ずつの枝刃を交互に出す。金象眼の銘文に4世紀後半に百済くだらで作られたとあり、「日本書紀記載七枝刀ななさやのたちにあたるとみられている。

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精選版 日本国語大辞典 「七支刀」の意味・読み・例文・類語

しちし‐とう‥タウ【七支刀】

  1. 奈良県天理市、石上(いそのかみ)神宮蔵の古代鉄製剣。刀身の左右に三本ずつ枝刃が交互に木の枝のようにつけられているところからいう。全長七五センチメートル。六五・六センチメートルの剣身の両面に金象嵌(きんぞうがん)の銘文があり、百済から日本に贈られたものと読まれる。四世紀後半の作。
    1. 七支刀〈奈良県石上神宮〉
      七支刀〈奈良県石上神宮〉

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改訂新版 世界大百科事典 「七支刀」の意味・わかりやすい解説

七支刀 (しちしとう)

奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮に古来より神宝として伝えられた鉄剣。全長74.9cm。左右交互に各3個の分枝をもつ特異な形状は,《日本書紀》神功紀52年条にみえる〈七枝刀(ななつさやのたち)〉の名と合致する。刀身の表裏両面に金象嵌された61文字の銘文は,4世紀後半の東アジアの国際関係を示す金石文史料として貴重である。銘文は判読が困難な部分が多く,多種の判読案が出されているが,表銘は〈泰四年月十六日丙午正陽,造百練七支刀,辟百兵,宜供侯王,□□□□作〉と読める。冒頭の年号を泰初,泰始とみる説もあったが,今日では泰和4年(369)と判読して東晋年号にあててよい。この表銘文は,〈泰和四年五月十六日の純陽日中の時に,百練の銕(鉄)の七支(枝)刀を造る。百兵を辟除し,侯王の供用とするのに宜しい。某(あるいは工房)これを作る〉の意と考えられる。裏銘文は〈先世以来,未有此刀,百済奇生聖音故,為倭王旨造,□□〉と読める。七支刀製作の歴史的経緯を記した裏銘文で,解釈は大きく分かれる。神功紀の記事内容から七支刀を百済の献上とみる説は,〈倭王旨〉を表銘で侯王とよんで下賜する銘文内容と排反する。逆にその下賜主体を百済と考える百済下賜説の難点は〈百済王世子奇生〉の部分である。〈世子〉は中国王朝の冊封を受けているか,それを希望する場合の表現であり,〈奇生〉は世子の名とみられる(対高句麗戦に活躍した太子の貴須と音通)。ともに名を記している銘文に即する限り,百済と倭は同等である。したがって倭王旨を侯王とよぶ下賜主体を東晋とする東晋下賜説,また侯王の表現を吉祥句にすぎないと考えて,百済が対等の通交関係において贈ったとする説が残ることになる。裏銘文は〈かつてなかったこのような刀(七支刀)を,百済王の世子である奇生が聖音の故に(東晋の指令によって,倭・済対等説では敬称語尾になる),倭王の旨のために造った。後世に伝示せよ〉の意となる。泰和4年は百済が南下してきた高句麗と戦って勝利した年であり,七支刀はそのような東アジアの情勢の中で倭国が登場することを示すものである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「七支刀」の意味・わかりやすい解説

七支刀
しちしとう

奈良県天理市布留(ふる)に鎮座する石上(いそのかみ)神宮所蔵の伝世呪刀(じゅとう)。「ななつさやのたち」ともよぶ。全長74.9センチメートル、刀身およそ65センチメートルの鍛鉄の刀で、刀身の表と裏とに金象眼(きんぞうがん)の銘文(61字)がある。「泰(和)四年(369)五月十(六)日丙午正陽」で始まるこの銘文には「七支刀」とあり、「百済(くだら)王世子」が「倭(わ)王」にもたらした呪刀であることが判読される。『日本書紀』の神功(じんぐう)皇后52年9月の条に「久氐(くてい)等、千熊長彦(ちくまながひこ)に従ひて詣(いた)り、則(すなわ)ち七枝刀一口、七子鏡(ななつこのかがみ)一面及び種々の重宝を献る」とある例などに基づいて、百済王が服属の証(あかし)として献上した刀と解釈する説があるけれども、銘文のどこにも献上を意味する文言はない。献上説に対して百済王からの下賜説も主張されているが、当時の東アジアの情勢のもとで銘文自体に即して正当に釈文することが必要である。作刀の主体が「百済王」ではなく、「百済王世子」であったことも見逃せない。369年のころは百済の勢力が高まり、371年には百済の勢力は平壌に侵入して、高句麗(こうくり)の故国原(ここくげん)王は戦死する。そうした百済側の状況も考慮しなければならない。石上神宮では長く伝世し、神事でも「七支刀」は神聖視されて、「六(むつまた)刀」「六鉾(ほこ)」ともよばれていた。目釘(めくぎ)穴がなく、茎(なかご)の部分が短いことも注意される。

[上田正昭]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「七支刀」の解説

七支刀
しちしとう

奈良県天理市布留(ふる)町の石上(いそのかみ)神宮蔵の特異な形の有銘鉄剣。長さ74.9cmの鉄剣で,身の左右に3本ずつ枝が出ており,身の表裏に金象嵌(ぞうがん)で61文字の銘文がある。初期の日朝関係史の重要な史料であるが,釈読・解釈についていまだ定説がない。表の銘文は,冒頭に「泰和4年」(中国東晋の太和4年=369年)と年紀をおき,作刀についてのべ,吉祥句を連ねるという構成で,中国風の刀剣銘の定型と一致する。裏は,百済(くだら)王の太子奇生(きせい)が倭王のためにこの刀を作ったと解され,七支刀自体の由来を示す内容となっている。「日本書紀」神功皇后52年9月丙子条にみえる百済から献上された「七枝刀(ななつさやのたち)」が,この七支刀にあたると考えられている。国宝。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「七支刀」の意味・わかりやすい解説

七支刀
しちしとう

「ななつさやのたち」ともいう。奈良県天理市石上 (いそのかみ) 神宮の神宝として伝世された全長 75cmの鉄剣。身の両側縁から3本ずつの枝刀が出ているところからこの名がある。身の両面に 61文字の金象眼銘が存しているが判読しがたい部分が多いので,文意については異説が多い。『日本書紀』の神功皇后の条の百済献上の七枝刀に相当するという説もあり,中国の刀剣がすでに朝鮮を経て日本に招来されていたことを実証するものとみなされる。

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百科事典マイペディア 「七支刀」の意味・わかりやすい解説

七支刀【しちしとう】

奈良県天理市石上(いそのかみ)神宮に伝わる全長約75cmの鉄製の剣。左右交互に3本ずつの支刀をもつ特殊な形態の刀で,剣身の両面にある銘文から,倭(わ)王に贈るために泰和4年(369年)百済(くだら)で作られたと推定される。

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旺文社日本史事典 三訂版 「七支刀」の解説

七支刀
しちしとう

石上神宮七支刀 (いそのかみじんぐうしちしとう)

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世界大百科事典(旧版)内の七支刀の言及

【数】より

…7にも聖数と忌数の両方の性質があり,とくに人生儀礼では生と死,此の世と異界などの移行の儀礼の際に重視されている。7は七福神,七賢人,七珍万宝,七支刀,七曜剣などという反面で,七難八苦,七転八倒,七去,七曲,七化(ななばけ),七変化(しちへんげ),七里結界(けつぱい),七不思議,七人ミサキなどということばがある。また七草,七所祝い,お七夜,初七日,七五三,七つ祝い,七庚申,七墓詣など民俗儀礼ではたいせつな数とされている。…

【大和朝廷】より

…(a)前期 記紀年代を修正すれば,4世紀後半より5世紀末までにあたる。石上神宮の七支刀(しちしとう)の銘に,泰和4年(369),〈百済王〉から〈倭王〉に,国交開始を記念するためであろう,七支刀が贈られたことが記され,広開土王碑に辛卯(391)より甲辰(404)まで,倭が百済,新羅と交流をもちつつ,高句麗とはげしく戦ったことが記録されている。その主体となった倭王もヤマト王権をさす。…

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