七曲村(読み)ななまがりむら

日本歴史地名大系 「七曲村」の解説

七曲村
ななまがりむら

[現在地名]佐倉市七曲

宮内みやうち村の東、弥富やとみ川に沿う。中世には白井しらい庄に属した。現神崎こうざき神宮じんぐう寺蔵の「大般若経」巻五一三の貞治二年(一三六三)七月付奥書に「下州白井高柳」とあり、巻五九一の同月一六日付の奥書には「筆者高柳住人祐阿弥」がみえ、当地高柳たかやなぎ高柳台たかやなぎだいが遺称地とされる。寛永一九年(一六四二)検地が行われて塩古内七曲村本水帳(佐倉市史)が作成された。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では塩古しおこ肩書して村名がみえ、高九七石余、佐倉藩領。以後幕末まで同じ。寛延二年(一七四九)の佐倉藩領村高覚でも同高で、新田改出高七石余、夫役永二九〇文余・林下刈銭永三七五文・茶園代鐚四八文・山銭鐚三七〇文。


七曲村
ななまがりむら

[現在地名]福光町七曲

嫁兼よめがね村の南東にあり、打尾うつお川東岸の段丘地、立野たてのはら丘陵の南に位置する。西を北へ流れる打尾川の上流臼中うすなか村・樋瀬戸ひのせと村持山の水無口みなくちという谷から流れ出る西谷にしたに川と、二村持山から流れ出る向谷むこうだに川とに分れている。二川臼中村で落合って流下し、才川七さいかわしち村内で小矢部おやべ川に合流する(三州旧蹟志)。元和五年(一六一九)の家高新帳に七曲村とあり、広瀬組に属し、役家数二。南西隣の樋瀬戸村から分れたものとみられる(福光町史)


七曲村
ななまがりむら

[現在地名]金沢市七曲町

茅原ちはら村の南東、浅野川の上流西岸に位置する。名は地内にある栃坂とちざかとよぶ坂が屈曲していることに由来するという(加賀志徴)。天文六年(一五三七)七月二日坂本さかもと(現滋賀県大津市)の樹下修理大夫の依頼を受けて、同月六日本願寺証如が知行回復を申付けた近江日吉社領四ヵ所のうちに「七曲」がみえる(賀州本家領謂付日記)正保郷帳では茅原村と併記され、両村合せて高二二二石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高一六四石・免五ツ一歩で、定納米のうち八石が翌年三月の米納、八石余が同六月の代銀納。


七曲村
ななまがりむら

[現在地名]木更津市茅野七曲かやのななまがり

萱野かやの村の東に位置する同村の枝郷。枝郷となったのは元禄(一六八八―一七〇四)頃といわれる。元禄郷帳に村名がみえ、高一一四石余。萱野村枝郷と肩書される。明治になって茅野七曲村と正式に称するようになったという。土地柄から山間の狭い土地に家々が建ち、田域はそれほど広くなかった。


七曲村
ななまがりむら

[現在地名]木更津市山本七曲やまもとななまがり

茅野七曲かやのななまがり村の南に位置する。文禄三年(一五九四)上総国村高帳山本村(現君津市)に続いて七曲村とみえ、高三〇石。元禄(一六八八―一七〇四)頃に山本村の枝郷となったといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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