日本歴史地名大系 「万年山」の解説
万年山
まんねんやま
初めて万年山の標高五五メートルの西側台地に埋葬されたのは、明和三年一一月三日に生後三ヵ月で死去した重喜の五子で長女の簾(秋露)であった。藩主では隠居していた八代宗鎮が安永九年(一七八〇)八月二七日に没し、葬られたのが最初で、簾を埋葬した公子塚(通称姫塚)上部の標高九〇メートルの台地に葬られた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
初めて万年山の標高五五メートルの西側台地に埋葬されたのは、明和三年一一月三日に生後三ヵ月で死去した重喜の五子で長女の簾(秋露)であった。藩主では隠居していた八代宗鎮が安永九年(一七八〇)八月二七日に没し、葬られたのが最初で、簾を埋葬した公子塚(通称姫塚)上部の標高九〇メートルの台地に葬られた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…京都市北区にある臨済宗天竜寺派の寺。山号は万年山。本尊は釈迦如来。…
※「万年山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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