三光政策(読み)さんこうせいさく

大辞林 第三版の解説

さんこうせいさく【三光政策】

日中戦争中、日本軍の残虐な戦術に対する中国側の呼称。三光とは殺光(殺しつくすこと)・搶光(略奪しつくすこと)・焼光(焼き払うこと)のこと。

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百科事典マイペディアの解説

三光政策【さんこうせいさく】

作戦とも。日中戦争後半期に日本軍が華北解放区を根絶しようとしてとった作戦に対する中国側の呼称三光とは中国語の焼光(焼きつくす),殺光(殺しつくす),搶光(奪いつくす)をいう。1940年の後半八路軍が華北で展開した大攻勢で打撃を受けた日本軍は岡村寧次(やすじ)北支方面軍司令官の指揮下,作戦重点を対国民党軍から対共産党軍に移し,民衆と八路軍との結びつきを絶つべく採用した。

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世界大百科事典 第2版の解説

さんこうせいさく【三光政策 Sān guāng zhèng cè】

日中戦争後半期に日本軍がとった燼滅(じんめつ)作戦に対する中国側の呼名。三光とは中国語の焼光(焼きつくす),殺光(殺しつくす),搶光(奪いつくす)の三つを指す。1940年後半,中国の八路軍は百団大戦と呼ばれる作戦を展開,日本軍に大きな打撃を与えた。新任の岡村寧次北支方面軍司令官(中将)は,日本軍の作戦重点を国民党軍から共産党軍に移す方針を打ち出し,共産党の指導するすべての根拠地の周辺に対し,徹底した掃討戦を行った。

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世界大百科事典内の三光政策の言及

【太平洋戦争】より

…しかし日本軍の支配は,中国民衆とりわけ中国共産軍の根強い抵抗に脅かされた。日本軍は1941年からとくに華北の中国共産党支配地区に対する〈粛正作戦〉を強化し,中国民衆に対して〈奪いつくし,殺しつくし,焼きつくす〉という〈三光政策〉を繰り返し,中国民衆の憤激と憎しみを買った。また日本軍は,1939年から抗日勢力を分断・壊滅させる目的で,山海関西側の九門口から察哈爾(チャハル)省東部の赤城県独石口東側の老丈まで約850kmに及ぶ万里の長城沿いに,現地住民を強制追放し居住を禁じた広大な〈無住地帯〉と耕作をも禁じた〈無住禁作地帯〉を設ける〈無人区〉作戦を実施し,その幅はもっとも広いところで南北約250km,範囲は25県,総面積は約5万km2に及んだ。…

※「三光政策」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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