デジタル大辞泉
「三千歳」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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みちとせ【三千歳】
- 歌舞伎所作事。清元。河竹黙阿彌作詞。清元お葉作曲。本名題「忍逢春雪解」。明治一四年(一八八一)東京新富座初演。歌舞伎脚本「天衣紛上野初花」の六幕目「入谷村大口屋別荘の場」に出された狂言浄瑠璃。悪事がばれて高飛びしようとする片岡直次郎が、なじみの遊女三千歳に最後の別れをしに忍んで来ての色模様に用いる。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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三千歳 (みちとせ)
歌舞伎舞踊劇の曲名。清元。本名題《忍逢春雪解(しのびあうはるのゆきどけ)》。作詞河竹黙阿弥,作曲2世清元梅吉(清元お葉の説もある)。1881年3月,5世尾上菊五郎,8世岩井半四郎ほかで東京新富座初演。《天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)》の6幕目〈大口屋寮の場〉の狂言浄瑠璃。大口屋の寮に出養生にきているおいらんの三千歳のもとへ,お尋ね者になった片岡直次郎が高飛びをする前に最後の別れに雪の中を忍んでくる。2人の色模様,新内がかりのクドキが聞かせどころである。
執筆者:菊池 明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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三千歳【みちとせ】
清元節の曲名。本名題《忍逢春雪解(しのびあうはるのゆきどけ)》。河竹黙阿弥作詞,清元お葉または2世清元梅吉作曲,あるいは二人の合作。1881年初演。天保六花撰の一人片岡直次郎のなじみの遊女三千歳を扱ったもの。悪事を働いて発覚した直次郎が,病床の三千歳のもとに別れを告げにくるという筋。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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三千歳 みちとせ
1813-1884 江戸時代後期の遊女。
文化10年生まれ。本名なを。江戸浅草の茶くみ女から新吉原の遊女となる。処刑された情人の片岡直次郎の死骸をひきとり,墓をたてた。2代松林(しょうりん)伯円の講談「天保六花撰(てんぽうろっかせん)」,河竹黙阿弥(もくあみ)の歌舞伎「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」などに脚色されて有名。明治17年8月31日死去。72歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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三千歳
みちとせ
清元の曲名。狂言浄瑠璃『忍逢春雪解 (しのびあうはるのゆきどけ) 』の通称。河竹黙阿弥作詞,2世清元梅吉作曲 (あるいは4世清元延寿太夫の妻お葉の作曲,または2人による合作) とされる。 1881年東京新富座初演。世話狂言『天衣紛上野初花 (くもにまごううえののはつはな) 』の6幕目。特に「一日逢わねば」以下の新内がかりの口説が有名。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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三千歳
(通称)
みちとせ
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 天衣紛上野初花 など
- 初演
- 明治14.3(東京・新富座)
三千歳
みちとせ
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 初演
- 明治33.1(東京・宮戸座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の三千歳の言及
【清元延寿太夫】より
…91年2世太兵衛,93年延寿翁となる。河竹黙阿弥と結んで《十六夜(いざよい)》《[夕立]》《[三千歳](みちとせ)》《雁金(かりがね)》など多くの名作を初演した。(5)5世(1862‐1943∥文久2‐昭和18) 本名岡村庄吉。…
【天衣紛上野初花】より
…通称《河内山と直侍》。配役は河内山宗俊を9世市川団十郎,片岡直次郎を5世尾上菊五郎,金子市之丞・比企東左衛門を初世市川左団次,筆職人寺田幸兵衛・高木小左衛門を中村宗十郎,松江出雲守・手代半七を坂東家橘(14世市村羽左衛門),暗闇の丑松・宮崎数馬を5世市川小団次,按摩丈賀を尾上梅五郎(のちの4世尾上松助),三千歳・腰元浪路を8世岩井半四郎ほか。松林伯円の講談《天保六花撰》の脚色で,すでに7年前に《雲上野三衣策前(さんえのさくまえ)》として東京河原崎座で上演しているが,改めて大一座のために書き直したものである。…
【天保六花撰物】より
…講談の2世[松林伯円](しようりんはくえん)が得意とした《天保六花撰》を題材にした作品群。1823年(文政6)に獄死した河内山宗春(俊)(こうちやまそうしゆん),彼と連座した直次郎(直侍(なおざむらい)),彼となじんだ浅草奥山の茶酌女お直,のちの吉原の遊女三千歳(みちとせ),その他金子市之丞,森田清蔵,暗闇の丑松を加えた6人の悪党をめぐる物語を脚色した。その最初の作は1874年10月東京河原崎座上演の[河竹黙阿弥]作《雲上野三衣策前(くものうえのさんえのさくまえ)》であった。…
※「三千歳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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