三多摩(読み)サンタマ

デジタル大辞泉 「三多摩」の意味・読み・例文・類語

さん‐たま【三多摩】

東京都西部呼称23区島嶼とうしょ部を除いた地域名称は、西多摩北多摩南多摩三つの郡名から。

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改訂新版 世界大百科事典 「三多摩」の意味・わかりやすい解説

三多摩 (さんたま)

東京都西部の西多摩,旧北多摩,旧南多摩3郡の総称。1871年(明治4)の関東新県の設置のとき,多摩地区の大半は神奈川県に編入されたが,93年に東京府へ移管された。神奈川県に属していた1878年に3郡に分割され,ここから三多摩の名が生まれた。地形的には西部の関東山地と東部の武蔵野台地,およびその南の多摩丘陵に分けられる。大正期までは,山麓部の谷口集落として発達した八王子,青梅五日市と街道沿いの宿駅の小集落を除けば,江戸時代に新しく開かれた畑作中心の農村地帯であったが,関東大震災後,鉄道沿いに市街地化がすすみ,とくに戦後は山地を除くほぼ全域で都市化が進行している。このため,三多摩の町村は相次いで市に昇格し,北多摩郡は1970年,南多摩郡は71年に消滅,残る西多摩郡は93年羽村町が市制,95年に五日市町が秋川市と合体してあきる野市となり,2006年4月現在3町1村からなる。1878年当時の三多摩地域の17.9万の人口は,1995年の同じ範囲の27市3町1村で約21倍の377.3万に達した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三多摩」の意味・わかりやすい解説

三多摩
さんたま

東京都の西部一帯を占める西多摩,南多摩,北多摩の旧3郡に属していた地域の総称。東京西部の都市化の進展に伴い,市制施行が進み,1970年に北多摩郡,71年南多摩郡はなくなり西多摩郡だけが現存。現在 27市と西多摩郡の4町1村とから成る。地形上は西部の関東山地,東部の武蔵野台地狭山丘陵多摩丘陵に区分される。中央を北西から南東に,多摩川貫流武蔵野台地は市街地化が急速に進展し,多摩丘陵も多摩ニュータウンをはじめ宅地造成が盛んである。西部の山地は美しい自然が残され,西多摩郡は秩父多摩甲斐国立公園に属し,6ヵ所の都立自然公園 (滝山,高尾陣場,多摩丘陵,狭山,羽村草花丘陵,秋川丘陵) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三多摩」の意味・わかりやすい解説

三多摩
さんたま

東京都(島嶼(とうしょ)部を除く)のうち区部を除く西半部の地名で、西多摩、旧北多摩、旧南多摩の三つの多摩郡をさす。もと神奈川県に属し、1893年(明治26)東京府に編入された。なお東多摩郡もあったが、1896年南豊島(みなみとしま)郡と合併して豊多摩郡(とよたまぐん)となり1932年(昭和7)東京市に編入された。関東山地から武蔵野(むさしの)台地に広がり、台地は江戸時代に新田集落として開発されたところが多い。関東大震災を機として、高燥な台地面は住宅地として都市化が進み、とくに第二次世界大戦後は急激な都市化によって多くの衛星都市が成立、1970年(昭和45)北多摩郡、1971年南多摩郡が消滅した。現在、西多摩郡の3町1村がある。

[沢田 清]

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世界大百科事典(旧版)内の三多摩の言及

【東京[都]】より

…32年にはそうした都市化の進展を前提に,周辺5郡を合併して〈大東京〉(合計35区)が成立した。さきに1893年,神奈川県会の反対を退けてそれまで神奈川県の管下にあった三多摩地方を合併し,また98年には特別市制を撤廃して,〈自治〉を獲得するとともに市役所を開設した東京市は,ここに〈大東京〉を実現したことにより,その発展の基礎を固めた。 1929年の経済恐慌は,東京にも多数の失業者を生み出し,不景気のなかで五・一五事件や二・二六事件など,しだいに軍国主義化が進んだ。…

※「三多摩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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