三浦梅園旧宅(読み)みうらばいえんきゆうたく

日本歴史地名大系 「三浦梅園旧宅」の解説

三浦梅園旧宅
みうらばいえんきゆうたく

[現在地名]安岐町富清

豊後三賢の一人三浦梅園富永とみなが村庄屋の家に生れた。三浦氏は相模国から武蔵むさし丸小野まるおの(現武蔵町)に移住した三浦家の分家で、代々医業を継いだ。梅園の名は晋、字は安貞、梅園は号である。一七歳で杵築藩の侍講綾部斎に入門、翌年中津藩の藤田敬所に師事したが、生涯を独学で通した。二三歳のとき長崎に遊学、三〇歳すぎに天地に条理のあることを知り、宝暦三年(一七五三)から「玄語」を書始めた。いわゆる梅園三語の「玄語」八巻、「贅語」一四巻、「敢語」一巻に条理学とよばれるわが国最初の哲学体系を樹立した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「三浦梅園旧宅」の解説

みうらばいえんきゅうたく【三浦梅園旧宅】


大分県国東(くにさき)市安岐町にある邸宅跡。国東半島の中央部にある両子山(ふたござん)(標高721m)に近い山村に所在する、近世中期の思想家、三浦梅園の旧宅。梅園は1723年(享保8)、杵築藩領国東郡富永村(現国東市安岐町)の医師の家に生まれた。祖業を継いで医を業とし、ほとんど郷土を出ず、塾を開いて門弟を教育。『玄語(げんご)』『贅語(ぜいご)』『敢語(かんご)』の梅園三語を著して独特の哲学的構想を示し、社会経済に対しても深い考察を加えるなど、すぐれた業績をあげた。民生の向上にも意を用い、郷党の尊敬を受け、1789年(寛政1)、67歳で没した。旧宅の建物は茅葺き平屋建て、向かって右に土間、左に座敷居間を配し、玄関を設けている。この南に接して一段高く南北に長い矩形状の平坦地は塾跡で、低い石垣と石階、井戸などがある。塾跡の南方にある小高い場所に一家の墓地があり、梅園の墓も営まれている。家屋に多少改変の痕跡があるが、全体においてよく旧状を残していることから1959年(昭和34)に国の史跡指定された。隣接して三浦梅園資料館があり、2006年(平成18)に墓も史跡に追加指定された。JR日豊本線杵築駅から車で約40分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

事典 日本の地域遺産 「三浦梅園旧宅」の解説

三浦梅園旧宅

(大分県国東市安岐町富清2507-1 三浦梅園資料館)
おおいた遺産」指定の地域遺産
江戸期の思想家・三浦梅園(1723-1789)の旧宅(国指定史跡)。隣の資料館には重要文化財遺稿などが保管されている

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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