三里浜砂丘(読み)さんりばまさきゆう

日本歴史地名大系 「三里浜砂丘」の解説

三里浜砂丘
さんりばまさきゆう

九頭竜くずりゆう川の排出する砂土が沿岸流に運ばれ形成された砂丘で、ほぼ南北に長く、延長約一二キロ、最大幅約二キロ、標高約三〇―四〇メートル。北端は坂井郡三国みくに新保しんぼ南端は福井市浜住はまじゆう町。

越前地理指南」に「新保浜ヨリ浜住村迄を三里浜と云リ、此行程二里廿九町、幅九百間アリ、塩焼ク所也」とあり、「帰鴈記」は「よねの浜といふは、免鳥浦といふ所より三国の辺までの汀をいへり、其間三里が程なれば三里浜ともいふなり、義景犬追物をせられし所とかや、平沙渺々として極もなき所なり」と記す。朝倉義景が犬追物を催したことは「朝倉始末記」にみえ、永禄四年(一五六一)四月六日、当砂丘に位置する大窪おおくぼ村の村浜で行ったことが記される。

慶長三年(一五九八)七月一五日付越前国西方塩浜御検地帳(広浜家文書)の「塩浜」は当砂丘をさし、これには黒目くろめ米納津よのづ(現坂井郡三国町)白方しらかた石新保いししんぼ石橋いしばし川尻かわしり橋屋はしや西畑にしばた二屋ふたつや大窪・おさか・免鳥めんどり・浜住・くもて(現福井市)の一四村がそれぞれ所有する村浜の間数、分銭による高付、塩釜数が記載されており、総間数二千一四〇間、総分銭三二一貫文、総塩釜数六四であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三里浜砂丘」の意味・わかりやすい解説

三里浜砂丘
さんりはまさきゅう

福井県北西部、九頭竜川(くずりゅうがわ)河口左岸以南に形成された砂丘。南北10キロメートル、南端は丹生(にゅう)山地で限られる。最大幅約1.5キロメートル、最高点43メートル。国道305号により西側の外側砂丘と東側の内側砂丘に分けられる。飛砂の被害が大きく、文政(ぶんせい)年間(1818~1830)から砂丘を固定化する植林が始まった。しかし、耕地が狭く、黒目(くろめ)、米納津(よのづ)の「てぐす」行商、棗(なつめ)地区の杜氏(とうじ)など出稼ぎ地域であった。1918年(大正7)ごろからラッキョウの栽培が行われ、全国一の産地になった。1971年(昭和46)以来掘込み式の福井港臨海工業地帯造成中で、砂丘の地形農業も大きく変貌(へんぼう)している。

[木下昭三]

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