上毛野氏(読み)かみつけぬうじ

改訂新版 世界大百科事典 「上毛野氏」の意味・わかりやすい解説

上毛野氏 (かみつけぬうじ)

古代の上毛野国,後の上野(こうずけ)国豪族。崇神天皇の皇子豊城入彦(とよきいりひこ)命の後裔と称する皇別(こうべつ)の氏族旧姓は君(公)。後に朝臣の姓を授けられている。上毛野氏の祖先と伝えられる豊城入彦命は東国を治めることとなり,また同命の孫とされる彦狭島(ひこさしま)王は東山道十五国都督となったが,春日穴咋邑(かすがのあなくいのむら)で病死し,東国の百姓がそれを悲しみ,王を上野国に葬ったという伝説がある。また彦狭島王の子の御諸別王が東国を領し蝦夷(えみし)を平らげたという所伝もあって,朝廷から祖先が上野国に派遣されたというが,実は,上毛野氏は,古くから上野・下野両国に分かれる以前の毛野国の王であった豪族である。《日本書紀》安閑1年閏12月条に武蔵国造の笠原直使主(かさはらのあたいおみ)と同族の小杵(おき)とが国造の地位を争ったときに,小杵が上毛野君小熊に支援を求めたと伝えられるが,これは6世紀の前半期にまで大和朝廷に対立できるほどの強大な勢力をもっていたと考えられている。上毛野氏の祖先をめぐる伝説には,荒田別(あらたわけ),巫別(かんなぎわけ)のように百済(くだら)に渡ったこと,竹葉瀬たかはせ)のように新羅(しらぎ)を征討したと伝えていることなど,朝鮮とのかかわりが深いものがあり,また大化改新以後に渉外関係や学問的素養を有した上毛野氏があり,この系統の上毛野氏は,実は渡来系の氏族であって,本来の毛野国の豪族である上毛野氏の同族と後に称するようになったのである。
毛野(けぬ)
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「上毛野氏」の意味・わかりやすい解説

上毛野氏
かみつけのうじ

崇神(すじん)天皇の皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を始祖とする氏族で、本貫地の上毛野(のちに上野国(かみつけののくに)、現在の群馬県)の名を冠する。本来の姓(かばね)は君(きみ)で、684年(天武天皇13)に朝臣(あそん)となる。『日本書紀』には、豊城入彦命が東国統治を命じられ、その孫の彦狭嶋(ひこさしま)王が東山道(とうさんどう)十五国都督(ととく)に任じられたこと、また軍事や外交で活躍した記事などが載る。こうした系譜と伝承が公認されたのは、古くからのヤマト王権との関係に加え、7世紀から活発化した政権の蝦夷地(えぞち)への侵出で、上毛野地域が経路上の要衝に位置し、人的資源や物質供給の拠点になったことによる。しかし多賀城(たがじょう)設置などにともなってその重要性は減退し、750年(天平勝宝2)に渡来系の田辺史(たなべのふひと)難波(なにわ)らの上毛野君への改姓が認められた頃から、政権内での活動も低調となった。

[前沢和之]

『前沢和之著「豊城入彦命系譜と上毛野地域」(『国立歴史民俗博物館研究報告44』所収)』

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