パンの会(読み)ぱんのかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パンの会」の意味・わかりやすい解説

パンの会
ぱんのかい

反自然主義を標榜(ひょうぼう)した青年文学者の集まりで、会の名のパンはギリシア神話の牧羊神Panからとったもの。1908年(明治41)12月、新詩社を脱退して『スバル』に拠(よ)った北原白秋(はくしゅう)、木下杢太郎(もくたろう)、高村光太郎(こうたろう)、吉井勇らに、石井柏亭(はくてい)ら青年画家を交えて第1回の会をもった。その主張は異国情緒・江戸情緒賛美の耽美(たんび)的傾向にあり、のちには第二次『新思潮』、『白樺(しらかば)』同人の参加などもあって反自然主義文学運動の一大集結の観を呈した。機関誌として発行された『屋上庭園』(1909~10)は発売禁止にあって2号で廃刊したが、会自体は明治末年まで続き、大正文学の一つの母体となった。

[田沢基久]

『野田宇太郎著『日本耽美派文学の誕生』(1975・河出書房新社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パンの会」の意味・わかりやすい解説

パンの会
パンのかい

明治末期の耽美主義文芸運動の拠点となった談話会。 1908年 12月に発足。会名はギリシア神話の牧羊神パンによる。『スバル (昴)』系の木下杢太郎,北原白秋,吉井勇,石川啄木らの詩歌人,美術雑誌『方寸』に拠る山本鼎,石井柏亭,森田恒友らの美術家,さらに自由劇場の小山内薫,市川左団次らが参加し,主として 20代の芸術家たちが浪漫派の新芸術を語り合う目的で出発した。永井荷風や上田敏らも出席し,東京をパリに,隅田川セーヌ川になぞらえた青春放埒の宴を続けたが,やがて幸徳事件 (1910) などの弾圧政策の進行とともに活気を失い,11年2月のつどいを最後に終焉した。

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