フランスの詩人。3月10日、父(工兵大尉)の任地フランス北東部メス市に誕生。裕福な旧家出身の両親から一粒種として溺愛(できあい)されて育つ。7歳のとき、父の退役を機にパリに移転。エレーヌ街の寄宿学校で初等教育を受け、9歳からランドリー学院の寄宿生となり、ここからリセ・ボナパルト(現在コンドルセ)に通学。教会にまじめに通う優等生は、思春期に及んで教師の顰蹙(ひんしゅく)を買う劣等生に変貌(へんぼう)する。一方、読書と詩作に没頭し、14歳にして自作の詩稿「死」をビクトル・ユゴーに送る。17歳の詩「熱望」にはボードレールの影響がみられる。1862年8月(18歳)大学入学資格試験に合格。法律学校に籍を置くがほとんど出席せず、詩と酒の日々を送る。父の勧めで2か月ほど保険会社で働いたのち、市役所の役人となる。66年『現代高踏詩集』に名を連ねる。同年10月、第一詩集『土星びとの歌』を自費出版し、高踏派詩人らの称賛を浴びる。音楽的韻律の独自な世界は、すでに時代を超えていた。上田敏訳の「よくみる夢」や「秋の歌」は日本でも愛唱されている。秘密出版の第二詩集『女友だち』(1867)の発禁事件を経て、第三詩集『なまめかしい宴(うたげ)』(1869)を発表。ロココ趣味の官能美をもって近代の倦怠(けんたい)を歌う。
やがて、友人の作曲家シャルル・ド・シブリCharles de Sivryの義妹マチルド・モーテMathilde Mauté de Fleurville(1853―1914)と婚約。酒をやめ、プロイセン・フランス戦争下のパリでブルジョア的平穏な結婚生活に入る(1870)。マチルドに捧(ささ)げた詩は、『よい歌』(1872)にまとめられる。1871年秋、シャルルビルの少年ランボーから送られた詩と手紙に感動しパリに招く。その反社会的な詩法と行動に魅惑され、1子をもうけた家庭を破壊し、詩壇からも疎まれて、ランボーとともにベルギーに逃亡、ロンドンに渡る。この激動の生活のなかで音楽的韻律の詩法はいっそうの醸成をみて『言葉のない恋歌』(1874)が生まれる。
1873年7月、ブリュッセルで激しい口論と泥酔のすえ、ランボーに向かって拳銃(けんじゅう)を二発発射。左手首に傷を負わせたあげく、プチ・カルムの刑務所に収容され、禁固2年の極刑判決によりモンスの監獄に移される。獄中、妻に離婚承認判決が下ったことを知り(1874)、衝撃を受ける。回心を体験。75年1月出所後、ランボーに信仰を説いて失敗するが、イギリスで教職につき、穏やかなカトリック的生活が続く。獄中とその後に生まれた信仰にかかわる詩は、『叡知(えいち)』(1881)、『愛の詩集』(1888)に、その他は主として『昔とちかごろ』(1885)、『雙心詩集』(1889)、『悪罵(あくば)詩集』に収録。77年、フランスに戻りレテルの中学に勤務。美少年の生徒レチノアLétinoisへの愛とその夭折(ようせつ)の悲嘆からふたたび生活が乱れる。母に危害を加え1か月間投獄される。だが、一方では『呪(のろ)われた詩人たち』(1884)などの優れた詩人論を書き、無名詩人ランボーの詩業の紹介、推輓(すいばん)に多大の貢献を果たした。
晩年は、巨匠の名声を得、「詩王」に選ばれる一方、酒と梅毒性関節炎のため極度の貧困に陥り、自殺を企てたりし、文部大臣から救済金を贈られるなど、悲惨を極めた。1896年1月8日、気管支性肋膜(ろくまく)炎により、同棲(どうせい)中の娼婦(しょうふ)ウージェニーと画家コルチニーにみとられ、パリで波瀾(はらん)の生涯を閉じた。52歳であった。棺衣の綱は、コペー、バレス、マラルメらが持った。
[中安ちか子]
『堀口大学著『ヴェルレーヌ研究』(1947・昭森社)』▽『鈴木信太郎他訳『マラルメ、ヴェルレーヌ、ランボオ』(『筑摩世界文学大系48』1974・筑摩書房)』▽『ジャン・ピエール・リシャール著、有田忠郎訳『詩と深さ』(1969・思潮社)』
フランスの詩人。メッスに生まれ,富裕な旧家で溺愛されて幸福な少年時代を送るが,その鋭敏すぎる詩的天分と生活者としての弱い性格とが相まって彼の生涯を〈神と娼婦・男色〉〈祈りと泥酔〉〈悔恨と反逆〉の間を揺れ動く破滅的なものにした。彼の一生が示すこの二重性はそのまま彼の作品群にも反映されている。1858年〈ボードレールを子どもらしくまねてみる〉ことから彼の作詩は始まるが,従姉へのかなわぬ恋と《悪の華》の美しい毒と,やがて始まる飲酒癖とが,学業半ばでパリ市庁の小役人となった彼を,いずれ高踏派の中核となる友人たちとは異質の詩人にしていく。第1次《現代高踏詩集》(1866)所収の詩群,処女詩集《サチュルニアン詩集》(1866)には茫漠たる悲哀感をみごとに体現する彼独特の歌が早くも認められ,また《艶なる宴》(1869)では秘められた恋愛感情をワトー風18世紀絵画の仮面の陰に典雅に歌いこめて高度の詩集構成を達成する。1870年《よき歌》に歌われたマチルド・モーテと結婚するが,この小康状態も翌年ランボーの出現でたちまち破られて,不幸な傷害事件に終わったこの出会いによって彼は詩人たること以外のすべてを失う。彼の最も完成された2詩集《言葉なき恋歌Romances sans paroles》(1874),《叡智Sagesse》(1881)はこの大きな犠牲の上に樹立されたもので,前者は官能に勝る第1・第2詩集の発展であり,後者は,獄中生活,離婚,回心を経てかつての《よき歌》のさらに宗教的に純化された作品である。80年代半ばデカダン派の台頭とともに彼はその巨匠に祭り上げられるが,この世間的名声の下に刊行された《昔と近頃》(1885)以降の諸詩集は,有名な《詩法》その他いくつかの佳編を除けば,その膨大な量にもかかわらず彼の真の文学的栄光に新たな光輝を加えたとはとうていいえない。晩年の彼の作品で最も重視すべきはむしろ評論であって,《呪われた詩人たちLes poètes maudits》(1884)はマラルメ,ランボーの存在を世に周知させて,ユイスマンスの《さかしま》(1884)とともに象徴詩派の形成に大きな影響を与えた。
日本へのベルレーヌ紹介は,その死去に際して東大生上田敏がいち早く発表した《ポオル・ルレエヌ逝く》(1896)にさかのぼり,蒲原有明(1904。おそらく英訳からの重訳)以後,上田敏,永井荷風,川路柳紅,鈴木信太郎,堀口大学ら諸家の訳業を通じて日本では最も人口に膾炙するフランス近代詩人となった。ただし明治末から大正初期にかけての北原白秋,三木露風らに代表されるいわゆる〈日本象徴詩運動〉は,フランス象徴主義全体およびその史的背景への認識を欠き,表面的な意匠としての対応にすぎず,真の理解・受容は永井荷風を例外として大正末期以降を待たねばならなかった。
執筆者:松室 三郎
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…とりわけ,86年9月8日の《フィガロ》紙に,モレアスが〈文学的宣言〉と題する文章を発表し,〈芸術における創造精神の現下の傾向を妥当に示すことのできる唯一のものとして,我々は〈象徴主義〉という名称をすでに提唱してきた〉と書いたのが,この用語を定着させる大きなきっかけになった。当時,ベルレーヌを敬愛する若い詩人たちによって,〈デカダン〉と名のるグループが結成される動きもあった。それは,時代を覆っていた科学的実証主義の風潮,あるいはまた物質優位の世界観に疑いをもちながら,衰頽しつつある世界において,倦怠,憂鬱にとらえられずにいられない内面の微妙な状態を表現することが,新しい詩人の役割とする考えかたに基づいていた。…
…1880年から85年にかけて,マラルメの〈火曜会〉に列席する青年たちがしだいに数を増してき,他方ではカフェを中心として,数多くのクラブが設立されたり小雑誌が刊行されたりして,デカダンスの美学を公然と口にする者がふえてきた。その際,彼らが師表として仰いだ先輩詩人はボードレール,ビリエ・ド・リラダン,ベルレーヌ,マラルメであったから,その運動は象徴主義(サンボリスム)のそれと重なり合うことになった。象徴主義が一定の文学理念を表現する言葉であるのに対して,デカダンスはむしろその心情的,ムード的な側面をあらわしているといえよう。…
…パリ郊外のサン・ジェルマン・アン・レーに生まれる。伯母のすすめでピアノを習い,ベルレーヌの義母モテ夫人に才能を見いだされその訓育をうけて,1872年パリ高等音楽院に入学。A.F.マルモンテル(ピアノ),ラビニャック(ソルフェージュ),E.ギロー(作曲)らに師事。…
… また近代文学の大家たちの男色傾倒は壮観というほかない。プラトンを教皇としソクラテスを使節とする善なる教会の従僕であることを誇ったP.ベルレーヌとその相手のJ.N.A.ランボー,民衆詩人W.ホイットマン,社会主義運動にひかれた詩人E.カーペンター,男色罪で2年間投獄されたO.ワイルド,S.ゲオルゲなどがとくに知られているが,彼らばかりではない。ゲーテは《ベネチア格言詩》補遺で少年愛傾向を告白し,A.ジッドは《コリドン》で同性愛を弁護したばかりか,別の機会にみずからの男色行為も述べ,《失われた時を求めて》のM.プルーストは男娼窟を経営するA.キュジアと関係していた。…
※「ベルレーヌ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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