江戸時代,幕府が大名・旗本から,また大名が家臣からその知行地を収公したこと,またその知行地をいう。知行主が罪を犯して没収されるという刑罰執行の形においてもなされたが,行政上の必要や純粋に知行地の割替えなどのためからも行われた。後2者の場合には別に代知を給付するのが通例であった。行政的な上知としては,1708年(宝永5)富士山噴火による降灰被害に見舞われた小田原藩領のうち5万6000石余を上知して幕領とし,関東郡代伊奈忠順の手で復旧普請を行ったもの,北方警備のために寛政・安政の両度,幕府が松前藩から蝦夷地を収公したもの,天保改革の際に江戸・大坂10里四方にある私領を上知して一円的な幕領を設定し,幕府支配の再編強化を策したもの(上知令)などが代表的な事例である。なお上知は上地とも書くが,これは百姓の田地を行政的な必要や処罰的な理由によって収公する場合に用いられる。
執筆者:笠谷 和比古
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大名・旗本などの領地を一部または全部取り上げること。取り上げられた領地を上(あが)り知(ち)という。とくに幕府の政策上の必要から上知せしめた場合には、それに見合うだけの封地を与えている。1769年(明和6)に西宮(にしのみや)を尼崎(あまがさき)藩から取り上げて幕領に編入した例や、松前藩から寛政(かんせい)、安政(あんせい)の両度にわたり蝦夷(えぞ)地の一部を上知させた例があげられる。とくに有名なものは天保(てんぽう)の改革中に行われた上知で、江戸、大坂最寄地(もよりち)の私領と長岡藩領の新潟が対象となったが、新潟のみに実施された。なお、明治維新後、廃藩置県までの間は上地と書くのが普通である。
[津田秀夫]
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「じょうち」とも。上地とも。江戸時代,幕府が大名領・旗本領を没収すること。また大名が自分の家臣の領地を没収する場合にも用いる。没収された土地は上り知とよんだ。処罰的な場合と行政的な場合があり,1843年(天保14)に幕府が江戸・大坂周辺の私領を,替地を与えて収公しようと試みて失敗した上知令は,行政的な例としてよく知られる。なお上地と書くときは,農民の土地を収公する上り田地を意味する場合が多い。
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