江戸幕府が大名・旗本らの領地の一部を取り上げ、それにかわる領地を与える封土転換令をいう。もっとも有名なのが、天保(てんぽう)の改革の重要政策の一として1843年(天保14)に発布されたものである。6月1日にまず江戸最寄地(もよりち)一円を、6月11日に長岡藩の新潟を、6月15日には大坂最寄地一円を幕領として収公することを命じた。7月には江戸、大坂を一括して取り扱い、その最寄地の上知を命ずる法令となった。当時民間でこの法令の事実を伝える記録では、その範囲を江戸、大坂10里四方(大坂は5里四方とも)と解しているものが多いが、法令上は「最寄地」とあるだけである。この上知令は諸大名・旗本の強い反対が予想されたので、上知高に応じて代地を与えることで解決しようとしたが、大坂最寄地では百姓や町人らが領主に融通した貸銀、年貢先納銀などが棒引きにされるのを恐れて、各所で反対運動が起こった。このような状況が幕府内にも反映し、水野忠邦(ただくに)に協力していた老中土井利位(としつら)までが上知反対派に回り、和歌山藩や大奥の動きもあって、江戸、大坂に関する限り、実施をみないまま、閏(うるう)9月7日に撤回された。しかし、新潟に関しては、13日忠邦の老中罷免ののち、10月になって実施され、幕末まで続いた。
上知令の発令された理由は、幕領より貢租の高い私領と交換して財政強化を図ろうとしたり、江戸、大坂を中心に経済的基盤を再統一し、幕府権力の強化を図ろうとした政策である。また、対外的に防御を強化し、重要な海上交通も幕府の掌握下に収めようとするものでもあった。
[津田秀夫]
上知とは,江戸時代,幕府が大名,旗本の知行地を行政上の必要などから没収することであるが,上知令は,一般に天保改革末期に幕府が発令した江戸,大坂近傍の私領の収公令をさす。1843年(天保14)6月,まず江戸城,ついで大坂城最寄りの上知が,皇室,門跡などを除く諸大名,旗本に命じられた。“最寄り”の範囲は,およそ両城の10里四方と考えられる。その目的は,アヘン戦争に伴う対外的危機への対応を直接的契機とした江戸,大坂およびその沿岸の防備のため,所領の入り組んだ江戸,大坂周辺の支配関係を整理して支配を強化すること,諸大名の飛地領を整理して居城周辺に一括させることによってその支配を強化すること,さらには,年貢収納の多い地域の幕領化により財政の補強を図ったことなどが考えられる。しかし,上知地域の領主と百姓,町人はそれぞれの立場から深刻な不満をもって抵抗し,これが幕府内部に対立を生み,閏9月には撤回され,この直後老中水野忠邦が罷免され,天保改革が挫折する直接の契機となった。
→天保改革
執筆者:藤田 覚
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「じょうちれい」とも。上地令とも。江戸後期の天保の改革の政策。1843年(天保14)6月,幕府が江戸・大坂10里四方の私領をほかに替地を与えて収公しようとしたもの。その目的には,幕府収入の増加,将軍による土地所有権掌握の再確認,江戸湾防備体制の強化などが指摘される。しかし年貢収入が減少する大名や旗本のほか,領主交代による年貢増徴や貸金の棒引きをおそれた農民や町人の間でも強力な反対運動がおこり,幕府内の意見も分裂したため,閏9月7日撤回。これが契機となり,天保の改革を主導した老中水野忠邦は同月13日に罷免され,改革は失敗に終わった。
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…上知とは,江戸時代,幕府が大名,旗本の知行地を行政上の必要などから没収することであるが,上知令は,一般に天保改革末期に幕府が発令した江戸,大坂近傍の私領の収公令をさす。1843年(天保14)6月,まず江戸城,ついで大坂城最寄りの上知が,皇室,門跡などを除く諸大名,旗本に命じられた。…
…1843年(天保14)幕府はさらに江戸・大坂周辺私領の公収をはかった。この天保上知令はまもなく撤回を余儀なくされ,行きづまりを露呈するものとなった。
[幕末の動揺]
これより先37年には大塩の乱が起きた。…
…これは,代官や勘定所役人が回村して,村内耕地の検分を行い,新開地の高入れや石盛(こくもり)の変更によって年貢の増徴を目ざした画期的な試みであったが,途中で水野忠邦が失脚したため中止されている。
[上知令の失敗]
この時期,中国大陸では清国がイギリスとアヘンの輸入をめぐり対立して戦ったが,近代的軍事力の前に屈して開港と領土の割譲を余儀なくされていた(アヘン戦争)。この報を聞いた幕府は,長崎の砲術家高島秋帆をよんで洋式の砲術訓練を行って軍事力の育成に努める一方,42年には文政の異国船打払令を撤回し,沿海に来航した外国船に薪水を供与することを許した(薪水給与令)。…
※「上知令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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