日本歴史地名大系 「上黒田村」の解説
上黒田村
かみくろだむら
黒田六ヵ村の一。
古代は「和名抄」に記す
当村の荘園関係の史料のうち最古の文書は康永四年(一三四五)の大江重任田地宛行状(吹上家文書)である。
中世の名主には吉野氏のほかに吹上(二家)・大江・中西・米田・吹野・畠の諸氏がある(吹上家文書)。天文一九年(一五五〇)五月付の郷中名主之事(同文書)には、上黒田村に吹上治部太郎国光(本家)・吹上掃部允光国(分家)・畠掃部允信連の三家が記される。
上黒田村
かみくろだむら
現上郷町の北西部山麓にあり、下黒田村との間を伊那往還(現県道飯島―飯田線)が通じている。村高は正保四年(一六四七)に三四二石余(信濃国絵図高辻)、天保五年(一八三四)に三六二石余(信濃国郷帳)で江戸時代を通じて大きな変化はなかった。
上黒田村
かみくろだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報