強国が相手国に対して結んだ条約で、一方的に利益を享受、または義務を課する内容をさす。16世紀にキリスト教国が、イスラム教国との間に片務的領事裁判制を設定したのが起源といわれる。近代に入ると、19世紀に先進資本主義列強のアジア進出に伴い、アヘン戦争やアロー戦争を通じ、武力を背景に列強が清(しん)国と締結した開国条約(南京(ナンキン)条約、北京(ペキン)条約)や、わが国との安政(あんせい)五か国条約を典型とするように、不平等の内容はさらに拡大され、協定税率制や租界、課税免除権や内地旅行権などの形をとって行われた。つまりこれらの条約では、欧米列強の居留民に領事裁判制の特権が与えられているのに反し、列国領土内の清国人や日本人に関しこの規定がなく、後進国の主権(法権)は片務的に拘束されている。また、協定税率制が清国や日本の主権(税権)を一方的に拘束するのに反し、列強側は関税自主権になんら拘束を受けず、これも片務的であった。相手国における居留民保護や貿易条件は、国交や通商を欲しない後進国側にとって考慮の対象外となりやすいことがこれを許した要因の一つである。領事裁判制の認められた日本との条約例では、列強側が法原理の異なる国の司法権から自国の居留民を保護しようとしたのに対応して、幕府側は難儀な責任を回避できると考えたこと、また、協定税率制については、列強側が後進国の税制を拘束して有利な輸出市場を確保しようとしたのに対応して、幕府側は、税制の検討を重視せず、むしろ貿易統制により列強が日本との通商を無益とみなす手段に訴え、条約自体の自然消滅をねらおうとしたこと、などが締結の背景にあげられる。したがって、通商の拒否が不可能となったとき、不平等条約は後進国の国益をおびただしく損なうこととなった。
[田中時彦]
当事国の権利・義務関係が平等になっていない条約。不平等条約が歴史上特に問題となったのは,19世紀半ば,日本,中国,タイ(当時はシャム),トルコなどのアジア諸国が国際社会へ参加した際に欧米諸国との間に締結した条約である。日本の場合,日米和親条約(神奈川条約,1854年)で開国をしたのち,最初に締結した通商条約である日米修好通商条約(58年)が不平等条約であり,領事裁判権,協定税率,最恵国条款などがアメリカだけに認められた。これらの経緯は,武力を背景とする砲艦外交と国際法に対する無知によるもので,一方的なものであったが,当時の国際法では違法ではなかった。また当時の国際法は,その享有者である国家を「文明国(civilized nations)」と意義づけており,日本は文明国とみなされなかった。特に,領事裁判権(治外法権)は日本の司法制度全般の未成熟に由来するものであった。日本は,このような不平等条約を,オランダ,ロシア,イギリス,フランス,オーストリア‐ハンガリー帝国と締結したが,明治期において,これら不平等条約を改正して平等なものとするため,治外法権の撤廃と関税自主権の回復をめざしたのである。これは,日本を近代化することであり,明治政府は,富国強兵,殖産興業,憲法制定,法典編纂などの方針を打ち出した。不平等条約が改正されたのは1911年である。なお,今日の国際法では,国家そのものに対する強制,脅迫は条約の無効原因となり,かつてのような不平等条約は認められない。
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2国間の条約で,法権・税権・最恵国待遇などについて片務的に相手国に有利な内容を認めた条約。19世紀に西洋列強のアジアへの勢力拡大にあたり,アジア諸国は西洋諸国に不平等条約を押しつけられた。アヘン戦争に敗れた清国とイギリスとの間の南京条約(1842)はその代表例。日米修好通商条約(1858)など幕末に日本が諸列強と結んだ条約も,協定関税・領事裁判権・最恵国待遇を片務的に認めたもので,日本に不利な不平等条約であった。その結果,条約改正による不平等条項の撤廃が明治政府の重要課題となった(完全な対等条約の実現は1911年)。なお1876年(明治9)朝鮮と結んだ日朝修好条規(江華条約)や,日露戦争後に中国と結んだ諸条約は,日本に有利な不平等条約であった。
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…たとえば中国では,1856‐58年の第2次アヘン戦争の結果,清国は天津条約を押しつけられ,輸出入とも従価5%基準従量税という関税率を強制された(関税問題)。日本も1858年(安政5)の日米修好通商条約により治外法権,協定税率,最恵国条項を主要内容とする不平等条約を強制され,さらに66年(慶応2)の改税約書により天津条約とほぼ同様の輸出入一律従価5%の従量税率が協定されたのである。一律5%という低率関税,片務的協定関税であったことに加え,支払通貨の基準が銀におかれたため,銀価格の低落に伴い税率は5%以下になり,この改税約書のために日本は大損害をこうむった。…
…国際組織
【日本と国際法】
開国以来の近代日本のあゆみは,国際法と深くかかわっている。まず日本は,1853年(嘉永6)のペリー来航以後,欧米列強の軍事的圧力のもとで鎖国を解き,諸国と交際を始めるようになったが,その際,日本がとるべき行動の範囲は,ヨーロッパに発達した近代国際法(当時,日本では〈万国普遍の法〉〈万国公法〉などと呼ばれていた)のルールと,そのもとで結ばれた欧米諸国との間の通商条約(いわゆる不平等条約)によって規定されたのである。こうした国際法の枠の中で,日本は明治維新以後,大日本帝国憲法をはじめ各種の法令を整備し,近代的な国家機構を確立していったのである。…
…内政改革には工業化が要請されたが,それには国内産業の保護と政府歳入の増加が必要であった。76年政府は日朝修好条規で朝鮮に不平等条約を強制しながら,一方で欧米諸国に対して外務卿寺島宗則は,関税自主権の獲得に重点をおく改正交渉をはじめた。この交渉は日米間でいちおう成功し,78年駐米公使吉田清成と国務長官エバーツW.M.Evartsとの間で約書に調印された。…
※「不平等条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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