与島(読み)よしま

日本歴史地名大系 「与島」の解説

与島
よしま

[現在地名]坂出市与島町・岩黒いわくろ

沙弥しやみ島の北方、備前下津井しもつい(現岡山県倉敷市)とのほぼ中間に位置する島で、塩飽しわく諸島の一。北に羽佐わさ島・岩黒島、東に小与こよ島、南になべ島・三つ子みつこ島の属島が浮ぶ。塩飽島諸事覚によると与島は島回り四八町余、小与島は二〇町余、岩黒島は一五町余、羽佐島は九町余。与島は東西二つの尾根とその中間の平地からなるが、この平地は後世埋立てたもので、古くは馬蹄形状に入江があったに違いない。島の南東の隅に浦城うらじお、尾根に挟まれた平地の中央北寄りに塩浜しおはまの集落があるが、塩浜は江戸時代末期、この地に塩田が完成してからできた集落で、本村は浦城である。羽佐島は無人島、三つ子島は瀬戸大橋橋脚の基礎となって消滅した。鍋島には明治五年(一八七二)英国人技師により築造された御影石造りの灯台があり、日本で二番目に古いといわれている。小与島は石材の島、岩黒島は漁業の島である。岩黒島が開拓されたのは寛政九年(一七九七)ほん笠島かさしま(現丸亀市)の高宮小右衛門の請負で、佐柳さなぎ(現同上)の百姓七人が移住したのに始まり、文政六年(一八二三)までにさらに三人が移住した(「岩黒島民願書」与島村誌稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「与島」の意味・わかりやすい解説

与島
よしま

香川県北西部、備讃(びさん)瀬戸に浮かぶ塩飽(しわく)諸島の一つ。坂出(さかいで)市に属す。面積1.10平方キロメートル。花崗(かこう)岩からなり、与島石の切り出しが盛んであったが、最近は外国の石に押されている。漁業、畑作農業が主産業で、かつての塩田は埋め立てられて学校用地などになった。本四連絡架橋の児島(こじま)―坂出ルートにあたり、瀬戸中央自動車道のパーキングエリアがある。属島に小与島(こよしま)(2009年人口13)がある。南部鍋島灯台(なべしま)は瀬戸内海では最古の灯台(1872年設置)の一つ。人口201(2009)。

[稲田道彦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル大辞泉プラス 「与島」の解説

与島

香川県坂出市、塩飽諸島に属する島。面積約1.1平方キロメートル。瀬戸大橋が架かり、島南東端の鍋島灯台は1872年に初点灯した瀬戸内海では最も古い灯台で、設計は英国人リチャード・ヘンリー・ブラントン。映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台として知られる。「与島パーキングエリア」は日本初の海上高速道路にあるパーキングエリアとして有名。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の与島の言及

【塩飽諸島】より

…〈しあくしょとう〉とも呼ぶ。おもな島は塩飽七島と呼ばれる本島(ほんじま),広島,牛島,手島(以上丸亀市),櫃石(ひついし)島,与島(坂出市),高見島(多度津町)である。古来,内海の水運の拠点であった。…

※「与島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android