新規な産業上の創作と営業上の標識に関する権利の総称。著作権と合わせて無体財産権と呼ばれる。フランス革命期以来の用語であり,日本では日英通商航海条約(1894)で工業所有権と訳されてから,この訳語が定着したが,これは誤訳に近い。なぜならindustrial(industrielle)は単に工業だけでなく,あらゆる産業の意味であるし,また権利の内容も所有権とはかなり異なるからである。このため,〈産業的財産権〉の訳語を用いる者もいるが,一般には〈工業所有権〉の語が用いられている。日本では工業所有権は通常,それぞれ特許法,実用新案法,意匠法,商標法に基づく特許権,実用新案権,意匠権,商標権をさすが(いずれも特許庁が所管する),広義には特許庁の権限とは関係なく,前述の定義に該当するすべての権利をさし,営業秘密,ノウ・ハウ,植物新品種(品種)に関する権利,サービス・マーク,商号,ハウス・マーク,原産地表示,表装・包装等が含まれる。
伝統的な財産法は,有体物に関する権利を中心に構成されてきたが近代になり債権も重要な意味を有するに至った。そして,産業革命以後の大量生産時代に入ると,前述の物と債権のほかに無形の財貨が重要な意味を有するに至り,この無形の財貨の保護のため,種々の工業所有権法が制定されるようになった。それは物権法的な法律構成をとってはいるものの,実体は新規なアイデアや信用の化体したマークの独占的利用権である。独占権(モノポリー)と呼ばれるものは,古今東西を問わず存在したが,それが権利としての体系を整えたのは,1474年のベネチア特許法が最初であり,その後イギリスの1624年の専売条例Statute of Monopoliesに引き継がれた。これらは,海外の優れた職人を招き自国の産業を振興するために必要な法制であったが,産業革命以降は発明等のアイデアを保護することにより産業の発展を図り,また信用を保護することにより経済秩序の維持を図る必要が生じ,それが現代の工業所有権法となった。とくに技術革新の時代に突入すると,先端技術での競争が激しくなり,それに伴ってその技術を保護する法制の重要性も増し,今日では特許制度は科学技術政策の中でも重要な地位を占めるに至った。またアイデアや信用には国境がなく,一国でのみ保護を行っても実効性が薄いため,他の法制と比較するならば工業所有権法は国際化の傾向が強い。その中心となっているのが〈工業所有権の保護に関する1883年3月20日のパリ条約〉(略称,工業所有権保護同盟条約,いわゆるパリ条約)である。この条約は,その後1900年ブリュッセル,11年ワシントン,25年ハーグ,34年ロンドン,58年リスボンで改正された。日本はパリ条約に1899年に加入以来,各改正条約に加入している。なお同盟事務局をジュネーブにおく。このほかにも〈特許協力条約〉(PCT),商標登録条約(TRT),世界知的所有権機関(WIPO)を設立する条約,国際特許分類に関するストラスブール協定,虚偽の(または誤認を生じさせる)原産地表示の防止に関するマドリード協定等の条約があり,国際関係を規律している。また,狭い地域に多くの国の工業所有権法が並立していることは,各国の特許庁の負担が増加するだけではなく,制度の利用者にとってもきわめて不便であり,したがって地域ごとにブロック化する傾向も見られる。ヨーロッパの多くの国が参加しているヨーロッパ特許付与条約がその典型例であるが,そのほかにもノルディク特許出願協定,ベネルクス統一意匠法等があり,またヨーロッパ共同体特許条約(CPC)をつくろうという動きもある。
工業所有権に関する統一的な法典はない。まず特許庁を所轄官庁とするものには,特許法,実用新案法,意匠法,商標法の4法がある。特許権,実用新案権,意匠権は,その創作をなした者またはその承継者のみが権利を取得することができるのであり,たとえ使用者といえども,その権利を原始的に取得するものではなく,従業者から承継的に取得しなければならない(〈原始取得・承継取得〉の項参照)。商標権には創作的要素はなく,自己の業務にかかわる商品について使用するものであれば,だれでも権利を取得しうる。それらの権利を取得しようとする者は特許庁へ出願し,審査を受けた後に登録をしなければならない。権利の存続期間は,特許権は出願から20年,実用新案権は出願から10年,意匠権は登録から15年,商標権は登録から10年(更新可能)である。これらの権利者には,当該権利の独占的利用権が認められ,その侵害者に対しては損害賠償請求権と差止請求権を行使できる。これらは通常の民事事件と同様,裁判所への訴えの提起により,その権利の実現が図られる。また,権利者はその権利をみずから利用しうるのみではなく,他人に実施権を与え実施料を徴収することもできる。その権利の実体は無形財貨の独占的利用権であるが,法律構成としては物権に類似していると考えられている。権利を維持するためには,特許料等の年金を特許庁に納付する必要がある。また,権利に無効原因が含まれていても当然に無効となるのではなく,特許庁に無効審判を請求し,その確定を待ってはじめて無効となり,権利は当初から存在しなかったものとされる。審判の審決に対して不服ある者は東京高等裁判所へ審決取消訴訟を提起できる。
広義の工業所有権の中には特許庁への登録を要件としていないものも多い。近年の技術の多様化に伴い,特許庁を所管としない工業所有権の重要性が急速に高まっているが,これらのものについては法律の不備なものもあり,今後の法制度の整備が待たれている。商標以外の自己の営業権または商品を表示する標識(例えばハウス・マーク,包装,営業標,氏名等)は主として不正競争防止法によって保護される。これらは登録を要件とすることなく,商品または営業を表示するものとして広く認識されたものであれば,その侵害者に対して差止めまたは損害賠償の請求をすることができる。植物の新品種については農林水産省所管の種苗法(1947公布。当初は農産種苗法,78年題名変更。98年全面改正)があり,特許出願と類似の手続によって品種登録した者にその品種の独占権が与えられる。その他キャラクター(商品化権)も,現実には重要な工業所有権であり,著作権法や不正競争防止法上の保護がなされているが,いまだ不十分である。また,1952年制定の輸出入取引法では,仕向け国の工業所有権または著作権等を侵害すべき貨物の輸出取引が禁止されており,たとえ日本の工業所有権等を侵害するものではなくとも,仕向け国において侵害するものであれば輸出できない。また日本の製品が外国のデザインや商標を模倣する例もあるので,輸出入取引法を補って輸出品デザイン法が59年に制定された。これによれば,政令で指定される特定貨物については認定機関の認定を受けなければ輸出できない。
工業所有権は,一般には独占権であるが,他方独占を防止する法としては独占禁止法があり,この両者の関係が問題となる。工業所有権も万能ではなく,工業所有権を武器に不公正な取引方法,独占行為,カルテル行為を行えば独占禁止法上の制裁を受けることになるし,また,特許権自体が取り消されることもありうる。
→無体財産権
執筆者:中山 信弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
工業所有権とはフランス語のpropriété industrielleの訳語で、公式には1894年(明治27)の日英通商航海条約の議定書のなかで用いられたのが最初である。工業所有権は産業上の知的財産権であり、その意味で、近年では産業財産権という用語が使用されるようになってきた。工業所有権という単一的な権利はなく、日本では通常、特許権、実用新案権、意匠権、商標権を総称するものとされているが、広義には、商号権や不正競争防止法に基づく権利(たとえば、コンピュータ・プログラムを使用したディスプレーの影像が同法にいう商品の表示に該当するとした判例もある)なども工業所有権に含まれる。
工業所有権は発明など人間の精神的労働の成果および営業上の信用(グッドウィル)を保護する排他的独占権であって、民法上の所有権に性質が似ているが、客体が無形の財貨である点で、有体物を客体とする所有権とは異なるものである。工業所有権は財産権なので、使用、収益、譲渡、相続が認められ、他人が権利者に無断でこの権利を利用したときは、その行為に対し差止請求や損害賠償請求が認められるほかに、侵害罪として刑事上の制裁もある。
[瀧野秀雄]
欧米各国では工業所有権をいち早く制度化し、1883年には各国における工業所有権制度の調整を図るため、内外人平等の原則、優先権制度、各国特許独立の原則をうたった「工業所有権の保護に関するパリ条約」(工業所有権保護同盟条約、パリ条約)が締結され、日本は1899年(明治32)にこの条約に加盟した。「技術に国境はない」といわれているが、導入技術を模倣や盗用から保護する工業所有権制度の確立があって初めて国際間の技術交流が盛んに行われる。日本の工業所有権制度が前記パリ条約の精神に従い健全に運営されていたことにより、第二次世界大戦の長期間にわたる技術的空白を埋める数多くの優れた外国技術の導入が円滑に進められ、自主技術の開発が促進された。このように、技術の交流、およびそれを支える工業所有権制度は、国内産業の発展、ひいては国民の福祉の向上に大きく寄与している。
法律的には工業所有権法または産業財産権法という単一の法典はなく、狭義には特許法、実用新案法、意匠法および商標法を含めた総称であり、広義には不正競争防止法および条約をも含めた総称として用いられることがある。条約としてはいわゆるパリ条約のほか、通称PCTとよばれる特許協力条約Patent Cooperation Treaty、TRTとよばれる商標法条約Trademark Registration Treatyなどがある。
[瀧野秀雄]
『瀧野文三著『最新工業所有権法』(1975・中央大学出版部)』▽『特許庁編『進展する工業所有権制度』(1975・財団法人日本特許情報センター)』▽『吉藤幸朔著・熊谷健一補訂『特許法概説』第13版(1998・有斐閣)』▽『特許庁編『工業所有権法逐条解説』第16版(2001・発明協会)』
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…コンピュータープログラム,データベース,マルチメディア作品のように電子化された情報に関し,法律によって保証された著作権,工業所有権等の権利の総称。知的所有権は知的財産権と同義語であり,無体財産権ともいう。…
※「工業所有権」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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