改訂新版 世界大百科事典 「63制」の意味・わかりやすい解説
6・3制 (ろくさんせい)
通常,小学校6年,中学校3年の学校体系をさすとともに,現行の9ヵ年義務教育制度をいう。日本では,広く小学校6年,中学校3年,高等学校3年,大学4年の学校制度,すなわち6・3・3制ないし6・3・3・4制を意味する場合もある。この教育制度の特色として,教育の機会均等の理念に基づいて3年の中等教育をすべての国民に開放したこと,また全国民に共通な単一の課程であることがあげられる。
6・3制は1947年4月学校教育法の施行により,新制中学校は同年から,新制高等学校は翌48年から,新制大学は49年から発足をみた。第2次大戦後の教育改革において,戦前の差別的な複線型学校制度(中等教育が特権的なコースとされていた)を単一化し,義務教育年限を延長することは教育民主化の大きな課題であった。1946年3月の第1次アメリカ教育使節団報告書は,6・3・3制の学制改革を勧告し,使節団に協力した日本側教育委員会のほぼ同じ時期の報告書も6・3・3・4(または5)制を提案した。これをうけて,同年秋から,教育刷新委員会が文部省と協力して学制改革の立案と審議に当たった。その背景には,就学率の上昇に伴う日本国民の6・3制の実現を望む声があった。すでに1937年の教育改革同志会の〈教育制度改革案〉や同年の阿部重孝の私案にみるように,6・3制は戦前日本の代表的改革案でもあった(義務教育年限の延長については1941年の国民学校令によって,初等科6年,高等科2年と法定されていた)。主として8・4制を採用していたアメリカでは,ジュニア・ハイ・スクールの発達を背景として,第2次大戦前から6・3制が強く主張され,一部で実現をみていた。また6・3制は,子どもの発達段階を少年期(6~12歳),青年前期(12~15歳),青年後期(15~18歳)に区分するという,当時世界的に確立された教育観を基盤としていた。
日本では,発足直後,財政的裏づけの不十分なことから,仮設校舎,学級定員の増大による〈すし詰学級〉,さらに2部授業などしばしば危機を迎えたが,国民の努力によって今日に至っている。1961年の5年制高等専門学校の発足など後期中等教育の多様化による6・3制の部分的変容もみられ,1950年代から政府・財界を中心に6・3制の見直しと再編をせまる声も強い。そのおもなものとして,4,5歳児から小学校低学年までを同じ教育機関で一貫した教育を行うことによって幼年期の教育効果を高めようというもの,また,中学校と高等学校を分割せずに一つの中等教育として扱い,生徒の多様な資質と幅広い関心に応じたコース別,能力別の教育を行うことなどが提案されている。これに対して,現時点での大幅な改革は混乱を招くおそれがあるとして,制度の改正より中身の改善で十分という立場から6・3制を支持する意見も強い。
→学校
執筆者:鈴木 英一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報