中島健蔵(読み)ナカジマケンゾウ

デジタル大辞泉 「中島健蔵」の意味・読み・例文・類語

なかじま‐けんぞう〔‐ケンザウ〕【中島健蔵】

[1903~1979]評論家・仏文学者。東京の生まれ。国語審議会委員として「当用漢字表」「現代仮名遣い」の制定を推進。評論は文芸から音楽まで幅広い。著「現代文芸論」「回想の文学」「昭和時代」など。

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精選版 日本国語大辞典 「中島健蔵」の意味・読み・例文・類語

なかじま‐けんぞう【中島健蔵】

  1. 評論家、フランス文学者。東京出身。バレリー、ジッドらの研究翻訳がある。第二次大戦後は、日本文芸家協会日本ペンクラブ日本著作権協議会などの活動に尽力し、また日中友好や、アジア・アフリカ作家会議など国際的にも活躍した。著「現代文芸論」「昭和時代」など。明治三六~昭和五四年(一九〇三‐七九

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20世紀日本人名事典 「中島健蔵」の解説

中島 健蔵
ナカジマ ケンゾウ

昭和期の評論家,フランス文学者 東京大学講師;日中文化交流協会理事長。



生年
明治36(1903)年2月21日(戸籍:22日)

没年
昭和54(1979)年6月11日

出生地
東京・麴町

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部仏文科〔昭和3年〕卒

主な受賞名〔年〕
菊池寛賞(第2回)〔昭和29年〕,野間文芸賞(第30回)〔昭和52年〕「回想の文学」(全3巻)

経歴
東大卒後、副手として研究室に残り、昭和9年から37年に退任するまで28年間も万年講師を務めた。その間、「学芸自由同盟」「文芸懇談会」「文学界」に参加し、日本ペン倶楽部事務局長を務めたが、17年からは陸軍報道班員としてシンガポールに赴き、帰国後は写真雑誌の編集などに従事する。戦後20年代は日本文芸家協会、日本ペンクラブ、日本比較文学会、日本著作権協議会などの再建、創立にあたり、チャタレー裁判特別弁護人を引き受けたほか数十の団体役員を兼ねて東奔西走。また30年代には35年まで新日本文学会の議長をつとめる。一方、31年に日中文化交流協会を結成して理事長となり、日中国交回復の機運づくりに貢献した。また現代音楽運動を支援し、新人育成、内外音楽家の交流、作品の普及等を積極的に推進。その遺志に基づき57年中島健蔵賞が設立された。著書に「現代文芸論」「現代作家論」「アンドレ・ジード」「懐疑と象徴」「音楽とわたし」「証言・現代音楽の歩み」「自画像」など。ほかに写真集として「点描・新しい中国」「その人その頃」がある。

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百科事典マイペディア 「中島健蔵」の意味・わかりやすい解説

中島健蔵【なかじまけんぞう】

フランス文学者,評論家。東京生れ。東大仏文科卒。戦前は《現代文芸論》などを刊行,《文学界》同人として文芸評論で活躍したほか,日本ペンクラブ常任理事などをつとめた。戦後は,さらに広範に活躍し,日本文芸家協会,日本著作権協議会,日中文化交流協会理事長など多くの文化団体役員をつとめた。1962年ころまで新日本文学会幹事会議長。主著《アンドレ・ジイド》,《回想の文学》全5巻。
→関連項目唐木順三

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中島健蔵」の意味・わかりやすい解説

中島健蔵
なかじまけんぞう

[生]1903.2.21. 東京
[没]1979.6.11. 東京
評論家,フランス文学者。松本高等学校を経て 1928年東京大学仏文科卒業。在学中,今日出海と『仏蘭西文学研究』を創刊 (1926) ,ボードレールやバレリー論を発表した。 34年から東大講師をつとめ,また『作品』同人に参加,フランス文学についての造詣を駆使して文芸評論の筆をとり,『懐疑と象徴』 (34) をまとめた。その後も一貫して,文学を人間精神と社会性の視点から論じる態度を貫き,第2次世界大戦後は日本文芸家協会の再建や,日本比較文学会,日本著作権協議会の創立,チャタレー裁判の特別弁護人,日中文化交流協会会長など,きわめて多岐にわたる活動を続けた。主著に『文芸学試論』 (42) ,『昭和時代』 (57) ,『現代文化論』 (66) など。長編自伝小説『自画像』 (63~65) もある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中島健蔵」の意味・わかりやすい解説

中島健蔵
なかじまけんぞう
(1903―1979)

評論家、フランス文学者。東京生まれ。東京帝国大学仏文科卒業。1931年(昭和6)『作品』の同人となり、バレリーの『ヴアリエテ』などを訳載、文芸時評ほかを書く。最初の評論集『懐疑と象徴』(1934)もフランス文学論を基盤とする。その後の代表的著作に『現代文芸論』(1936)、『昭和時代』(1957)、自伝小説『自画像』(1963~66)、『音楽とわたくし』(1971~73)、『回想の文学』全五巻(1977)、『回想の戦後文学』(1979)など。その活動領域はきわめて広く、日本著作権協議会、日中文化交流協会などで果たした役割も大きい。

[保昌正夫]

『『現代日本文学大系74 中島健蔵他集』(1972・筑摩書房)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中島健蔵」の解説

中島健蔵 なかじま-けんぞう

1903-1979 昭和時代の評論家,フランス文学者。
明治36年2月21日生まれ。中島泰蔵の長男。昭和9年から37年まで母校東大仏文科の講師。文芸から音楽まで幅ひろく評論をおこなう。日本著作権協議会,日中文化交流協会ほかおおくの文化団体の役員をつとめた。また,国語審議会委員のひとりとして「当用漢字表」「現代かなづかい」の制定を推進した。昭和54年6月11日死去。76歳。東京出身。著作に「昭和時代」「回想の文学」など。

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367日誕生日大事典 「中島健蔵」の解説

中島 健蔵 (なかじま けんぞう)

生年月日:1903年2月21日
昭和時代の評論家;フランス文学者。日中文化交流協会理事長
1979年没

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