中川喜雲(読み)なかがわきうん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「中川喜雲」の解説

中川喜雲
なかがわきうん

江戸時代前期の俳人仮名草子作者。宝永2 (1705) 年 10月3日没,70歳とするがあるが疑わしい。本名,吉左衛門重治。松永貞徳について俳諧を学び,『崑山集』『玉海集』などの貞門俳書に入句。俳人としてよりはむしろ仮名草子作者として活躍。『京童 (きょうわらべ) 』 (1658) ,『鎌倉物語』 (59) ,『京童跡追』 (67) の名所記類,咄本 (はなしぼん) ,『私可多咄 (しかたばなし) 』 (59) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「中川喜雲」の解説

中川喜雲 なかがわ-きうん

?-? 江戸時代前期の俳人,仮名草子作者。
丹波桑田郡(京都府)の人。京都で医者修業のかたわら松永貞徳や安原貞室に俳諧(はいかい)をまなぶ。明暦4年(1658)名所案内記「京童(きょうわらべ)」を出版,「鎌倉物語」や笑話集「私可多咄(しかたばなし)」などをかいた。名は重治。通称は吉左衛門。別号に山桜子。

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世界大百科事典 第2版「中川喜雲」の解説

なかがわきうん【中川喜雲】

1636?‐1705(寛永13?‐宝永2)
仮名草子作者,俳諧師。名は重治。山桜子と号する。父中川仁右衛門重定の出身は丹波の郷士で,いったんは仕官したが,松永貞徳や小堀遠州らと交わり,狂歌や俳諧をよくする風流人であった。喜雲もその影響を受け,若くして貞徳の門に入った。貞徳没後はその後継者安原貞室に近づき,同人撰《玉海集》には父重定は1句,喜雲は6句入集している。早くに京都に出て医師となった喜雲は,その医業による生活だけでは満ち足りないなにものかを,俳諧や狂歌で,さらには名所記などの仮名草子制作で満たしていたのではなかろうか。

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世界大百科事典内の中川喜雲の言及

【京童】より

…6巻6冊。中川喜雲作。1658年(明暦4)刊。…

※「中川喜雲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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