中西悟堂(読み)ナカニシゴドウ

デジタル大辞泉 「中西悟堂」の意味・読み・例文・類語

なかにし‐ごどう〔‐ゴダウ〕【中西悟堂】

[1895~1984]野鳥研究家・天台宗の僧。石川の生まれ。本名、富嗣とみつぐ。昭和9年(1934)日本野鳥の会を結成。探鳥会を行い、自然保護運動に尽力した。著「定本野鳥記」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「中西悟堂」の意味・わかりやすい解説

中西悟堂 (なかにしごどう)
生没年:1895-1984(明治28-昭和59)

野鳥研究家,詩人。石川県金沢市に生まれる。幼くして父母に別れ,天台宗の僧侶であった伯父中西悟玄に育てられた。12~13歳のとき秩父山中で108日間の荒行の際,肩やひざにとまりにきた小鳥と親しんだのがきっかけで,野鳥や自然の保護を生涯のしごととするようになった。15歳で得度剃髪(ていはつ)。1934年,竹友藻風らとはかって〈日本野鳥の会〉を起こした。この会には,柳田国男,北原白秋,杉村楚人冠,内田清之助,黒田長礼,山下新太郎,山口蓬春などが多数参加して,当時起こりつつあった博物趣味に,高い文化性とそこはかとない野生との共存の哲学を秘め,科学と文芸の合体融合を願う姿勢をとるが,いささか高踏的雰囲気をもっていた。〈野の鳥は野に〉という標語を掲げ,野鳥飼育流行への批判もあったが,後の野鳥の会のように厳しいものではなく,当時は飼鳥界の大家もなん人か会員に加わっていた。中西悟堂の自然観は,仏教の哲理を基盤とした東洋風のそれであったことが,外来の自然保護とは異なる独自の自然保護活動を展開する母胎となった。なお〈野鳥〉などのことばもつくった。第2次大戦後の中西悟堂は,日本鳥類保護連盟の山階芳麿と提携して,霞網猟の撲滅空気銃の使用禁止,狩猟制度の見直しの提唱など,国の中央鳥獣審議会(のちに自然環境保全審議会)委員として大奮闘する。70年5月に〈自然を返せ〉という自然保護運動が起こったとき,若い人々とともにデモ行進の先頭を歩いた。その間,天台宗権僧正となり,日本エッセイストクラブ賞,読売文学賞,新年詠進歌入選などを受け,77年に文化功労者に選ばれるなど多彩な活動を続けた。80年に法人化した日本野鳥の会の運営に強い不満を表明して会長を辞任したが,その後,81年に名誉会長として復籍した。晩年には,同人誌〈連峯〉を通じて長老的立場から警世論陣をはり,独特の文明批判を続けていた。《定本野鳥記》など著書は百数十冊に及んでいる。
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20世紀日本人名事典 「中西悟堂」の解説

中西 悟堂
ナカニシ ゴドウ

大正・昭和期の僧侶,歌人,詩人,野鳥研究家 日本野鳥の会名誉会長;天台宗権僧正;国際鳥類保護会議終身日本代表。



生年
明治28(1895)年11月16日

没年
昭和59(1984)年12月11日

出生地
石川県金沢市長町

別名
幼名=富嗣,旧筆名=中西 赤吉(ナカニシ シャクキチ)

学歴〔年〕
天台宗学林修了,曹洞宗学林〔大正6年〕修了

主な受賞名〔年〕
日本エッセイストクラブ賞(第5回)〔昭和32年〕「野鳥と生きて」,紫綬褒章〔昭和36年〕,読売文学賞(第17回・研究翻訳賞)〔昭和40年〕「定本野鳥記」,日本歌人クラブ推薦歌集(第14回)〔昭和43年〕「悟堂詩集」,勲三等旭日中綬章〔昭和47年〕,文化功労者〔昭和52年〕

経歴
明治44年16歳の時、東京都下深大寺で得度し天台宗僧徒となり悟堂と改名。昭和42年権僧正となる。一方、大正4年内藤鋠作の抒情詩社に入社。詩や小説を手がけたが、15年思想状況への懐疑から山中にこもる。昭和3年頃より野鳥と昆虫生態を研究し始め、9年柳田國男らと日本野鳥の会を創設。以来50年間、“かごの鳥”追放はじめ愛鳥運動と自然保護一筋の人生で、鳥類保護法の制定にも一役買い、晩年は“野鳥のサンクチュアリ(聖域)”造成に情熱を燃やした。永年務めた日本野鳥の会の会長は55年に辞任、翌年名誉会長となったが、この間、国際鳥類保護会議日本代表、日本鳥類保護連盟専務理事などもつとめた。詩人、歌人としても知られ、詩集に「東京市」「花巡礼」「山岳詩集」「叢林の歌」、歌集に「唱名」「悟堂歌集」などがある。ほかに「野鳥と生きて」「定本野鳥記」(全16巻)「野鳥と共に」など野鳥や自然に関する著書が数多くある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中西悟堂」の意味・わかりやすい解説

中西悟堂
なかにしごどう
(1895―1984)

野鳥研究家。明治28年11月16日石川県金沢市に生まれる。幼名富嗣(とみつぐ)。10歳で養父悟玄の教化により秩父(ちちぶ)山中で断食の苦行を行い鳥に親しむ。15歳で仏門に帰依(きえ)し法名悟堂。天台宗学林に入学。20歳で歌集『唱名』(1916)を出版。以後30歳まで仏門にあって作詩作歌活動を展開。その後、鳥虫魚の飼育観察に取り組み、36歳で『虫・鳥と生活する』(1932)を出版。2年後に日本野鳥の会を創立し機関誌『野鳥』(1934)を発刊。同時に富士山麓(さんろく)での探鳥会を始め、探鳥ブームの基礎を築いた。当時流行していた飼い鳥の廃止を訴え、のちにかすみ網の全廃運動の陣頭にたち、野鳥保護思想の啓蒙(けいもう)普及に生涯を捧(ささ)げた。『野鳥と生きて』(1956)で日本エッセイスト・クラブ賞、『定本野鳥記』で読売文学賞を受賞。主要著作114点。比叡(ひえい)山天台宗権僧正(ごんそうじょう)。紫綬褒章(しじゅほうしょう)、文化功労者、勲三等旭日(きょくじつ)中綬章などを受けた。昭和59年12月11日肝臓癌(がん)で死去。

[藤原英司]

『中西悟堂著『定本野鳥記』全16巻(1962~1986・春秋社)』『小谷ハルノ著『父・悟堂』(1985・永田書房)』

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百科事典マイペディア 「中西悟堂」の意味・わかりやすい解説

中西悟堂【なかにしごどう】

野鳥研究家,詩人,随筆家。金沢市生れ。天台宗学林卒。僧職から転じて野鳥研究に没頭し,《山岳詩集》《野鳥と共に》などの詩や随筆を書き,1934年柳田国男北原白秋らをさそって〈日本野鳥の会〉を創設。ほかに詩集《東京市》,歌集《安達太良》などがある。
→関連項目山階芳麿

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中西悟堂」の意味・わかりやすい解説

中西悟堂
なかにしごどう

[生]1895.11.16. 金沢
[没]1984.12.11. 横浜
歌人,詩人。幼名,富嗣。少年時代に天台宗の僧籍に入り,悟堂と改名。 1912年前後から歌作を始め,21年から詩作も発表しはじめた。歌集『唱名』 (1916) ,『安達太良』 (59) ,詩集『花巡礼』 (24) などがある。野鳥研究家としても有名で,日本野鳥の会会長,中央鳥獣審議会委員などをつとめ,『虫・鳥と生活する』 (32) ,『定本野鳥記』 (62~66) など数多くの著書がある。 77年文化功労者。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中西悟堂」の解説

中西悟堂 なかにし-ごどう

1895-1984 大正-昭和時代の野鳥研究家,詩人,歌人。
明治28年11月16日生まれ。天台宗の僧。昭和9年日本野鳥の会を設立し会長。機関誌「野鳥」を発行,自然保護につくした。国際鳥類保護会議の終身日本代表。52年文化功労者。昭和59年12月11日死去。89歳。石川県出身。本名は富嗣(とみつぐ)。著作に「定本野鳥記」など。
【格言など】みどり児のわれを捨てにし母の行方尋(と)め来てむなしわれすでに老ゆ(「悟堂歌集」)

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367日誕生日大事典 「中西悟堂」の解説

中西 悟堂 (なかにし ごどう)

生年月日:1895年11月16日
大正時代;昭和時代の僧侶;野鳥研究家。日本野鳥の会会長;天台宗権僧正
1984年没

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世界大百科事典(旧版)内の中西悟堂の言及

【バードウォッチング】より

…自然の中であるがままの野鳥の姿や声を,鳥を傷つけたり驚かしたりすることなく観察し,観賞して楽しむ行為をいう。日本語では〈探鳥〉ないし〈探鳥会〉なる訳語があてられるが,このことばは,1934年中西悟堂が〈日本野鳥の会〉を創立したとき,〈野鳥〉とともに初めて用いたものである。〈日本野鳥の会〉の探鳥会が初めて行われたのは同年6月3~4日で,富士山麓の須走(すばしり)に,当時の文壇,画壇,歌壇の重鎮,著名な民俗学者,言語学者,動物学者,会社経営者,貴族およびその家族などが参加して行われた。…

※「中西悟堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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