デジタル大辞泉
「中里恒子」の意味・読み・例文・類語
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なかざと‐つねこ【中里恒子】
- 小説家。神奈川県出身。横光利一に師事。昭和一四年(一九三九)「乗合馬車」「日光室」で女性初の芥川賞受賞。第二次世界大戦後は、「まりあんぬ物語」などで再出発。ほかに「わが庵(いお)」「花筐(はながたみ)」「時雨(しぐれ)の記」などの作がある。明治四二~昭和六二年(一九〇九‐八七)
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中里 恒子
ナカザト ツネコ
昭和期の小説家
- 生年
- 明治42(1909)年12月23日
- 没年
- 昭和62(1987)年4月5日
- 出生地
- 神奈川県藤沢市
- 本名
- 佐藤 恒
- 旧姓(旧名)
- 中里
- 学歴〔年〕
- 神奈川高女〔大正14年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 芥川賞(第8回)〔昭和13年〕「乗合馬車」,読売文学賞(小説賞 第25回)〔昭和48年〕「歌枕」,日本芸術院賞恩賜賞(第31回 昭49年度)〔昭和50年〕「わが庵」,女流文学賞(第18回)〔昭和54年〕「誰袖草」
- 経歴
- 昭和3年処女作「砂上の塔」を「創作月刊」に発表、同年創刊の女性だけの同人誌「火の鳥」に参加。兄が戦前では珍しい国際結婚をしたことから、これをテーマにした「乗合馬車」を13年に発表。女性初の芥川賞を受賞した。「此の世」「歌枕」「わが庵」「時雨の記」、短編集「花筐」などが代表作。透徹した目で人生、風土をみつめた作風に定評がある。58年日本芸術院会員。「中里恒子全集」(全18巻 中央公論社)がある。
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中里恒子
なかざとつねこ
(1909―1987)
小説家。神奈川県藤沢市に生まれる。父は藤沢宿、母は保土ケ谷(ほどがや)の由緒ある家柄の出。横浜紅蘭(こうらん)女学校在学中に関東大震災にあう。すべてが灰燼(かいじん)に帰す体験により、文学への関心を深める。習作時代に、永井龍男(たつお)、横光利一(よこみつりいち)、川端康成(かわばたやすなり)、堀辰雄(たつお)の知遇を得る。1939年(昭和14)『乗合馬車』『日光室』(ともに1938)で芥川賞(あくたがわしょう)を受賞。『乗合馬車』の題材は、近縁者の国際結婚の見聞によるものである。運命がもたらす人間の孤独と連帯の機微をとらえたこのモチーフは、さらに深化されて、娘の国際結婚に取材した『南への道』(1979~1980)などの作品にまで至る。老境に近い男女の心象を俳句の手法に近い抽象的な文体で描いた『歌枕(うたまくら)』(1973)によって読売文学賞を受ける。その後、円熟の域をみせた『誰袖草(たがそでそう)』(1979)により女流文学賞を受賞。ほかに『時雨の記(しぐれのき)』(1977)、『水鏡』(1980)、『綾の鼓(あやのつづみ)』(1985)などがある。1974年(昭和49)芸術院賞恩賜賞を受賞、1983年芸術院会員。
[岡 宣子]
『『中里恒子全集』全18巻(1978~81・中央公論社)』
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中里恒子【なかざとつねこ】
小説家。神奈川県生れ。神奈川高女卒。1938年,国際結婚の明暗を描いた《乗合馬車》で女性初の芥川賞受賞。戦後は,混血の少女を描いた《まりあんぬ物語》が第1作。《峠》《遠い虹》では,国際結婚をした娘を訪ねた自身の渡米経験や混血の孫を描き,その後,《残月》《此の世》《時雨の記》など,老いを自覚した後の微妙な愛情のやり取りを描いた作品を多く発表,《歌枕》で読売文学賞を受賞した。ほかに女流文学賞《誰袖枕》など。
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中里恒子
なかざとつねこ
[生]1909.12.23. 藤沢
[没]1987.4.5. 横浜
小説家。紅蘭女学校を経て,神奈川高等女学校卒業。 1928年『明らかな気持』などの習作を発表。同人誌『山繭』『火の鳥』に参加,永井龍男,横光利一,川端康成,堀辰雄の知遇を得た。『乗合馬車』『日光室』 (ともに 1938) で女性初の芥川賞受賞。ほかに『歌枕』 (73,読売文学賞) ,『時雨の記』 (77) ,『誰袖草』 (79,女流文学賞) 。 74年恩賜賞受賞。 83年芸術院会員。
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中里恒子 なかざと-つねこ
1909-1987 昭和時代の小説家。
明治42年12月23日生まれ。横光利一(よこみつ-りいち)に師事する。昭和14年国際結婚をテーマにした「乗合馬車」で女性初の芥川賞。49年老境をえがいた「歌枕」で読売文学賞。50年「わが庵(いお)」などで芸術院恩賜賞。芸術院会員。昭和62年4月5日死去。77歳。神奈川県出身。神奈川高女卒。作品はほかに「時雨(しぐれ)の記」など。
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中里 恒子 (なかざと つねこ)
生年月日:1909年12月23日
昭和時代の小説家
1987年没
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