日本大百科全書(ニッポニカ) 「丸岡藩」の意味・わかりやすい解説
丸岡藩
まるおかはん
越前(えちぜん)国坂井郡丸岡(福井県坂井(さかい)市丸岡町地区)に本拠を置く5万石の譜代(ふだい)藩。藩主有馬(ありま)氏。藩領域はそのほとんどが肥沃(ひよく)な坂井平野のうちで坂井郡74か村、他は南条(なんじょう)郡2か村と吉田郡1か村に飛地があった。
城下町丸岡の成立は古く、1576年(天正4)越前国主柴田勝家(しばたかついえ)の甥(おい)勝豊(かつとよ)によって建設されている。丸岡藩の創立は1624年(寛永1)のことで、その前年福井藩主松平忠直(ただなお)が改易となったため、同藩の老臣で丸岡城代の本多成重(なりしげ)が4万6000石の丸岡藩主に昇格した。その本多家も4代、70余年で除封となり、1695年(元禄8)有馬清純(きよずみ)が越後(えちご)(新潟県)糸魚川(いといがわ)より5万石で入封、以後幕末まで8代、176年間続いた。財政は貧しく、1724年(享保9)、1779年(安永8)、1866年(慶応2)と3回の百姓一揆(いっき)が起こっている。5代誉純(しげすみ)は奏者番(そうじゃばん)、寺社奉行(ぶぎょう)、西の丸若年寄と昇進、内政にも努め藩校平章館の開設、藩史編纂(へんさん)などを行った。1871年(明治4)廃藩、丸岡・福井・敦賀(つるが)・石川各県を経て1881年再置の福井県に編入。
城下町丸岡の象徴である丸岡城天守閣は国の重要文化財で、愛知県の犬山城とともに現存最古のものとされている。二重三層の望楼型天守で、その構架法や外観は古調をよくとどめており、城郭建築史上注目されている。
[舟澤茂樹]