了仙寺(読み)りょうせんじ

国指定史跡ガイドの解説

りょうせんじ【了仙寺】


静岡県下田市七軒町にある寺院。1635年(寛永12)に下田奉行の今村正長によって創建された日蓮宗の寺で、その後、火災にあい、1826年(文政9)に再建された。1854年(嘉永7)に日米和親条約が締結されて下田が開港すると、了仙寺はペリーと日本全権の交渉場所となり、下田追加条約が締結される。寺はその後も同条約に基づき、玉泉寺(ぎょくせんじ)とともに同国人の休息所となった。本堂は間口5間、奥行き6間の寄せ棟造り、桟瓦葺きの建物で、1945年(昭和20)に一部が破壊されたが、かつての姿を残しており、幕府外交史上重要なことから、1951年(昭和26)に国の史跡に指定された。現在、ペリー一行が進んだ道は「ペリーロード」と呼ばれ、境内では大砲や軍楽隊による軍事パレード的な閲兵式(えっぺいしき)が行われたとの記録が残されている。このパレードでは、ペリー艦隊の軍楽隊によって洋楽演奏が随時行われ、日本初の洋楽コンサートとされる。その時の模様は黒船従軍画家だったハイネによって『安政元年(1854)ペリー提督黒船陸戦隊調練の図』として描かれ、現在、アメリカ海軍兵学校に所蔵されている。その石版画を了仙寺が所蔵しており、その複製は本堂の正面に掲げられている。境内に植樹された1000株のアメリカジャスミンが、5月の満開時には強い香りを放つことから、ジャスミン寺の異名があり、隣接する宝物館にはペリーや黒船、異文化交流をテーマとした1000点を超える関連資料が収蔵されている。伊豆急行線伊豆急下田駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

了仙寺
りょうせんじ

静岡県下田(しもだ)市にある日蓮(にちれん)宗の寺。法順山と号する。本尊は十界曼荼羅(じっかいまんだら)。大坂夏の陣で眼病に苦しんだ徳川家康は今村正長の勧めで日朝像に祈願、効験があったので、1635年(寛永12)初代下田奉行(ぶぎょう)となった今井正長が開創、日朝を開山とした。幕末には幕府の日米開交にあたり、アメリカ側全権ペリーとの議場となり、1854年(安政1)5月、日米和親条約(下田条約)が当寺で締結された。1951年(昭和26)国の史跡に指定。寺内には宝物館があり、性神を多数収集している。

[田村晃祐]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の了仙寺の言及

【下田[市]】より

…水産業は沿岸・沖合漁業でサバなどの水揚げが多く,農業はミカン,花卉などが中心である。《延喜式》の名神大社伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)(白浜)神社,下田条約締結の舞台となった了仙寺(史),長楽寺,アメリカ総領事館が置かれた玉泉寺(史),唐人お吉の墓がある宝福寺など史跡が多い。【塩川 亮】
[歴史]
 江戸~大坂間の海上交通の要地として発展した。…

※「了仙寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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