日本神話にみえる神の名。コトは〈言〉,シロは〈知る〉意で,天皇を守護する託宣の神。八重(やえ)事代主神とも呼ばれる。記紀神話においては大国主(おおくにぬし)神の子として国譲りの誓約を行い,その後は大和の宇奈提(うなで)に〈皇孫命(すめみまのみこと)の近き守り神〉として祭られた(《出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)》)。また,この神が八尋(やひろ)ワニとなって三嶋溝樴(みぞくい)姫と結婚し神武天皇の后となる姫を生んだという三輪山(みわやま)型説話(三輪山伝説)も伝えられている(《日本書紀》)。コトシロヌシは本来は祈年祭の祝詞にいう大和六県の一つ,高市県(たけちのあがた)で祭られていた飛鳥地方の土着の国津神(くにつかみ)であった。高市県は朝廷の家政に蔬菜などを貢納していた供御領地であり,その県主(あがたぬし)は宮廷儀礼や皇祖神の祭礼を通じて天皇家とは特別な関係をもっていた。飛鳥土着の国津神が国譲り神話で重要な役割を果たしたのはこのためであり,後に壬申の乱に際して天武天皇を守護する託宣を行い,天皇の守護神として宮中の神祇官西院に祭られることになる(《延喜式》神名帳)。
→国譲り神話
執筆者:武藤 武美
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(神田典城)
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…七福神の一神として,福徳を授ける神とされ,家の台所や茶の間にまつられることが多い。春秋の夷(えびす)講には,財布にお金を入れて供えるなど商業神としての性格が強いが,農村では,竈(かまど)神や荒神(こうじん)信仰と習合して,稲の豊作をもたらす田の神の性格をも兼ねる。田植後のサナブリ,刈上祭に稲苗や稲の穂を供える地方もある。漁村では豊漁をもたらす神とされ,海岸や岬などに祠(ほこら)を設けてまつることが多い。…
…(4)かくして葦原中国の主となったオオクニヌシに対し高天原より国土を天津神の子に譲れとの交渉がはじまる。交渉は両三度に及ぶが,ここでのオオクニヌシは生彩のない受動的な神にすぎず,使神の武甕槌神(たけみかづちのかみ)に対して事代主神(ことしろぬしのかみ),建御名方神(たけみなかたのかみ)(ともにオオクニヌシの子)ともども屈服し,国譲りのことが定まる。その際の条件にオオクニヌシは壮大な社殿に自分をまつることを請いそこに退隠することになったが,これは出雲大社の起源を語ったものである。…
…室町時代には,《塵塚物語》の説くように夷(えびす)と大黒の二神併祀がみられた。これは西宮の〈夷三郎〉が本来大国主神と事代主(ことしろぬし)神の二神であったものが,夷三郎を1神(事代主神)としたところから,大黒天が加えられたものと考えられる。このころから大黒天を福神とすることも一般化してきたらしく,狂言《夷大黒》にも比叡山三面大黒天と西宮の夷三郎を勧請(かんじよう)してまつるようすが記されている。…
…神戸市長田区に鎮座。旧官幣中社。事代主(ことしろぬし)尊をまつる。《日本書紀》によると,神功皇后が新羅より帰還の途中,武庫の水門(むこのみなと)で事代主尊の〈吾をば御心長田国に祀れ〉との神告を受けて山背(やましろ)根子の女,長媛(ながひめ)をしてまつらせたと伝えられる。806年(大同1)に神封41戸を充てられ,859年(貞観1)従四位下を授けられている。《延喜式》には名神大社に列せられ,古くから朝野の崇敬を受けた。…
…島根県八束(やつか)郡美保関町に鎮座。三穂津姫(みほつひめ)命,事代主(ことしろぬし)神をまつる。三穂津姫命は大国主神の后神で,事代主神はその第1の子神。…
※「事代主神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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